Skip to main content

ブルガリアのテンサイ(甜菜)生産量の推移【1961年~2023年】世界ランキング・統計データ

国際連合食糧農業機関(FAO)が発表したデータによると、ブルガリアのテンサイ(甜菜)生産量は1961年の1,640,000トンをピークに、1960年代後半から1970年代には年間150万~260万トンの大きな変動を見せました。しかし、1980年代後半以降、急激な生産量の減少が見られ、1990年代には10万トンを下回る水準に急落しました。最新のデータでは2007年に16,281トンまで低下し、過去最高生産量である1966年の2,598,036トンと比べると著しい減少が明らかです。これらのデータは、ブルガリアの農業政策、経済状況、また市場構造の変化が強く影響を与えている可能性を示唆しています。

年度 生産量(トン) 増減率
2007年 16,281
-39.22% ↓
2006年 26,788
8.32% ↑
2005年 24,731
-6.2% ↓
2004年 26,367
190.51% ↑
2003年 9,076
-82.32% ↓
2002年 51,326
171.05% ↑
2001年 18,936
-17.88% ↓
2000年 23,060
-56.87% ↓
1999年 53,471
-13.46% ↓
1998年 61,786
-22.3% ↓
1997年 79,519
-8.61% ↓
1996年 87,007
-44.75% ↓
1995年 157,481
41.04% ↑
1994年 111,659
17.13% ↑
1993年 95,332
-68.63% ↓
1992年 303,862
-64.5% ↓
1991年 855,985
46.65% ↑
1990年 583,704
-39.6% ↓
1989年 966,379
54.35% ↑
1988年 626,098
-14.99% ↓
1987年 736,472
-15.3% ↓
1986年 869,542
5.54% ↑
1985年 823,906
-27.25% ↓
1984年 1,132,586
51.82% ↑
1983年 746,030
-52.89% ↓
1982年 1,583,474
35.34% ↑
1981年 1,170,000
-19.25% ↓
1980年 1,448,966
-30.51% ↓
1979年 2,085,272
27.44% ↑
1978年 1,636,330
-8.29% ↓
1977年 1,784,286
-24.65% ↓
1976年 2,367,907
31.43% ↑
1975年 1,801,583
9.29% ↑
1974年 1,648,487
-6.21% ↓
1973年 1,757,658
-12.04% ↓
1972年 1,998,305
27.86% ↑
1971年 1,562,860
-10.88% ↓
1970年 1,753,560
4.71% ↑
1969年 1,674,706
15.81% ↑
1968年 1,446,134
-31.22% ↓
1967年 2,102,646
-19.07% ↓
1966年 2,598,036
73.14% ↑
1965年 1,500,519
-31.29% ↓
1964年 2,183,766
67.23% ↑
1963年 1,305,879
0.45% ↑
1962年 1,300,000
-20.73% ↓
1961年 1,640,000 -
+ すべての年度を見る

ブルガリアのテンサイ生産量は、全体として見ると過去数十年間で劇的な減少を経験しました。1960年代から1970年代、ブルガリアが社会主義経済下で農業生産を計画的に拡大していた時期には、生産量は主として安定的に推移し、年による細かな変動はあったものの、200万トンを超える高水準を記録しました。しかし、1980年代からは急激な生産量の減少が見られ、1990年代になると崩壊的とも言える状況に至ります。特に1993年の95,332トン、2000年代に入ってからの数万トン規模への縮小は、生産活動が農業国としての国際的な地位を危うくしており、注目に値します。

この衰退の背景としては、政治・経済体制の転換による農業政策の混乱が主な要因として挙げられます。ブルガリアは1989年の共産主義崩壊後、計画経済から市場経済へ移行する中で、従来の組織的農業政策が機能不全に陥りました。テンサイの生産には大規模な労働力や機械化が不可欠である上、そのプロセスには砂糖産業との連携が重要であり、これらのインフラの劣化が生産量に大きな影響を与えたと考えられます。また、同時期には世界的な砂糖市場における競争激化や、EU諸国との市場統合の影響も生じ、競争力を失ったことが一因といえるでしょう。

さらに、地政学的背景も無視できません。ブルガリアは冷戦期間中、ソ連を中心とした経済圏(CMEA)の重要な農業拠点とされていましたが、冷戦終了後はそのような特別な地位が失われました。その結果、以前のような外的な支援に頼ることが難しくなり、国内の農業インフラ再建が進まず、その衰退が加速しました。

今後の課題としては、いくつかの重要なポイントがあります。一つは、効率的かつ持続可能な生産体制の復興です。これは、旧共産主義時代の巨大な国営農場モデルから離れ、小規模な地域農場を中心に据えた現代的な農業プロセスへの転換を意味します。また、テンサイは糖分産出のみならずバイオエタノールの原料としても利用可能なため、バイオ燃料産業との連携を深め、新たな市場機会を見出すことが求められるでしょう。

政府もまた、政策的な支援を強化する必要があります。たとえば、EUの共通農業政策(CAP)を活用し、農家への補助金や技術支援を提供することは、テンサイ生産を再び軌道に乗せるための重要な戦略の一つです。また、環境変動への対応も重要です。きめ細かい土壌管理や気候に適した品種改良により、生産量の向上が期待できます。

結論として、ブルガリアのテンサイ生産量の大幅な減少は、地政学的な位置づけの変化や経済移行の影響を反映した大きな問題ですが、新たな技術や政策の導入と国際市場への適応によって克服の道筋を描くことができます。これは単なる生産量の回復にとどまらず、地域農業全体の復興を意味します。そのためには、国内外の各主体が連携し、綿密かつ長期的な視点で取り組む必要があります。

ブルガリアの統計データ
キーワード検索
楽天おすすめ