ロンドンが「霧の都」と呼ばれる本当の理由【事実検証済み】美しいイメージの裏に隠された公害の歴史
シャーロック・ホームズがガス灯の下で事件を追う姿、あるいは霧深い路地裏。フィクションの世界で描かれるロンドンの風景は、しばしば深い「霧」に包まれています。しかし、なぜロンドンは「霧の都」という異名を持つのでしょうか?
その答えは、単なる気象現象だけではありません。この言葉には、美しいイメージとは裏腹の、産業革命がもたらした深刻な大気汚染の歴史が刻まれているのです。
この記事では、「霧の都」という言葉に隠された2つの真実を、歴史と科学に基づき解き明かしていきます。
地理的条件が生み出す「自然の霧」
まず、ロンドンで自然の霧が発生しやすい地理的な理由から見ていきましょう。
- 海洋性の立地: イギリスは、暖流である北大西洋海流と、冷たい北海に囲まれた島国です。この暖かい空気と冷たい空気が接触することで霧が発生しやすい環境にあります。
- テムズ川の存在: ロンドンの中心を流れるテムズ川は、市内に豊富な水分を供給します。夜間に地表の熱が奪われる放射冷却が起こると、川から蒸発した水蒸気が冷やされて霧となり、街に立ち込めるのです。
こうした地理的・気象的な条件が、ロンドンに「霧がちな街」という基本的な性格を与えていることは事実です。しかし、歴史的に「霧の都」という言葉を世界に定着させたのは、次にご紹介するもう一つの「霧」でした。
産業革命が生んだ「人工の霧(スモッグ)」
19世紀から20世紀前半にかけて、ロンドンは世界初の産業革命を牽引し、未曾有の発展を遂げました。しかしその裏側で、街は深刻な公害に苦しむことになります。
当時のロンドンを覆っていた「霧」の正体、それは「スモッグ(Smog)」でした。この言葉は、煙(Smoke)と霧(Fog)を組み合わせて20世紀初頭に作られた造語です。
- 原因は石炭: 工場の動力や家庭の暖房燃料として、石炭が大量に燃やされていました。その際に排出される亜硫酸ガスや石炭の煤(すす)が、ロンドンの湿潤な空気と混ざり合い、濃く、黒く、そして有害なスモッグとなって街を覆い尽くしたのです。
- 健康を脅かす存在: このスモッグは、ひどい日には数メートル先も見えないほど視界を悪化させました。人々は呼吸器系の疾患に苦しみ、特に冬場には死亡率が急増しました。この「霧」は決してロマンティックなものではなく、市民の健康と命を脅かす存在だったのです。
運命を変えた「1952年 ロンドン大スモッグ事件」
この状況を劇的に変えるきっかけとなったのが、1952年12月5日から5日間にわたり発生した「ロンドン大スモッグ事件(Great Smog of London)」です。
高気圧に覆われて風が止まり、上空の暖かい空気が地表の冷たい空気に蓋をする「気温の逆転層」が発生。これにより、工場や家庭から排出された汚染物質が拡散されずに地表に滞留し、かつてない高濃度のスモッグがロンドンを包みました。
この未曾有の大気汚染により、英国政府の公式報告や後の研究によると、直接的な原因で約4,000人、関連する疾患を含めると最終的に12,000人以上が命を落としたと結論づけられています。
この悲劇は世界中に衝撃を与え、大気汚染対策への世論を決定的に動かしました。その結果、イギリス議会は1956年に画期的な「大気浄化法(Clean Air Act)」を制定。この法律により、都市部での石炭の使用が厳しく規制され、ロンドンの空は劇的な改善へと向かったのです。
過去の教訓を乗り越えた現代のロンドン
ロンドンが「霧の都」と呼ばれる理由をまとめると、以下の通りです。
- 地理的要因: もともと自然の霧が発生しやすい気候風土であること。
- 歴史的要因: 産業革命期に発生した石炭による深刻なスモッグ(大気汚染)が、そのイメージを世界的に決定づけたこと。
大気浄化法の制定から半世紀以上が経過した現在、ロンドンの空からかつての「黒い霧」は姿を消しました。現代のロンドンは、歴史的な街並みと公園の緑が調和する、先進的な環境都市へと生まれ変わっています。
「霧の都」という言葉は、私たちにノスタルジックな風景を想像させると同時に、人類が深刻な公害を乗り越えてきた歴史の証人でもあるのです。この言葉の裏にある物語を知ることで、ロンドンという都市が持つ重層的な魅力に、さらに一歩深く触れることができるでしょう。