基本情報
遺跡名称 | ビソトゥーン |
遺跡名称(英語) | Bisotun |
国名 | イラン(イスラム共和国) |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準(登録基準とは) | (ii)(iii) |
世界遺産登録年 | 2006年 |
資産面積 | 187ha |
世界遺産「ビソトゥーン」の登録理由や特徴について
ビソトゥン(Bisotun)は、イラン高原とメソポタミアを結ぶ古代の交易路に位置する重要な考古学的遺跡です。この遺跡は、先史時代からメディア王国、アケメネス朝、ササン朝、イルハン朝に至るまでの様々な時代の遺構が存在しています。中でも最も注目されるのは、ダリウス1世(大王)がペルシア帝国の王位に就いた際、紀元前521年に命じたレリーフと楔形文字の碑文です。
このレリーフには、ダリウスが弓を持ち、彼の前に仰向けに倒れている人物の胸に足を乗せている姿が描かれています。この人物は、都市の魔法使いで王位の偽称者であるガウマタを表していると伝えられており、ダリウスの権力掌握の背景にはこの暗殺事件があるとされています。レリーフの周囲には、約1200行の碑文が刻まれており、ダリウスが紀元前521年から520年の間に行った戦闘の物語が記されています。これらの碑文は、エラム語、バビロニア語、古ペルシア語の三つの言語で書かれており、エラム語の部分が最も古い記述で、王や反乱についての伝説を語っています。バビロニア語の部分は同様の伝説を扱い、最後の古ペルシア語の部分は特に重要で、ダリウスが帝国の再建を記録するためにこの言語を初めて導入したものです。この碑文は、アケメネス朝時代の唯一の知られた記念碑的な文書であり、ダリウス1世による帝国再建の証明となっています。
ビソトゥンは、地域内における記念碑的な芸術や文字の発展における影響交流の証拠を示しているだけでなく、メディア時代(紀元前8世紀から7世紀)やアケメネス朝(紀元前6世紀から4世紀)およびその後のアケメネス朝時代の遺構も見られます。この遺跡は、古代ペルシアの歴史と文化の理解を深める上で欠かせない重要な場であり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
ビソトゥンの壮大な歴史とその周囲の自然美、さらにはその文化的な重要性から、多くの観光客や歴史愛好者が訪れる場所となっています。エラミテ、バビロニア、そして古ペルシア語の3つの言語で表現された物語は、5000年以上にもわたる人類の歴史を物語っており、私たちに古代の文明の栄華と苦難を伝えています。ビソトゥンは、ただの歴史的遺跡にとどまらず、文明の交差点としての役割を果たしており、未来の世代にその重要性を引き継ぐべき貴重な遺産です。
「ビソトゥーン」はどこにある?