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カリフ都市メディナ・アサーラ

ヨーロッパ / スペイン / 文化遺産

基本情報

遺跡名称 カリフ都市メディナ・アサーラ
遺跡名称(英語) Caliphate City of Medina Azahara
国名 スペイン
登録区分 文化遺産  
登録基準(登録基準とは) (iii)(iv)
世界遺産登録年 2018年
資産面積 111ha

世界遺産「カリフ都市メディナ・アサーラ」の登録理由や特徴について

カリフ都市メディナ・アザハーは、10世紀中頃にウマイヤ朝によって建設された壮大な考古学的遺跡です。この都市はコルドバのカリフの座として栄え、当時のイスラム文明の中心地の一つでした。メディナ・アザハーは、その名の通り「輝く都市」を意味し、美しい庭園や豪華な建築物が特徴です。都市の建設は、ウマイヤ朝のカリフ・アブド・アッラフマン3世の命により始まり、彼はこの地に政治的・文化的な中心地を築くことを目指しました。

都市は最盛期には栄え、洗練されたインフラや雰囲気豊かな公共スペースがありましたが、残念ながら1009年から1010年にかけての内戦によって荒廃しました。この戦争は、カリフ制の終焉を意味し、その後メディナ・アザハーは長い間、その存在が忘れ去られました。実際、この都市の遺構が再発見されるまで約千年の時が流れました。

20世紀初頭に考古学者たちによって再発見された際、メディナ・アザハーは驚くべき状態で残っており、多くの重要な遺物やインフラが発見されました。都市の遺跡群には、道路や橋、水道システム、建物、装飾的な要素、日常生活で使われる物品などが含まれています。これらは、西方イスラム文明、特にアンダルスの栄光の時代を知る上で不可欠な資料を提供しています。

UNESCOの世界遺産として登録されているメディナ・アザハーは、地中海地域の文化的影響と、イスラム世界における学問や芸術の発展を反映しています。現在、この遺跡は研究の対象とされ、多くの観光客が訪れる場所ともなっています。遺跡の保存と研究は、私たちに過去の文明が持っていた魅力や力を理解する手助けとなっています。メディナ・アザハーは、歴史的な背景と美しい景観を兼ね備えた、唯一無二の文化遺産です。

「カリフ都市メディナ・アサーラ」はどこにある?

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