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ローマ帝国の国境線

ヨーロッパ / イギリス / 文化遺産

基本情報

遺跡名称 ローマ帝国の国境線
遺跡名称(英語) Frontiers of the Roman Empire
国名 イギリス
登録区分 文化遺産  
登録基準(登録基準とは) (ii)(iii)(iv)
世界遺産登録年 1987年
資産面積 526.9ha

世界遺産「ローマ帝国の国境線」の登録理由や特徴について

「ローマ帝国の境界線(Frontiers of the Roman Empire)」は、2世紀におけるローマ帝国の最大領域を示す境界線を指します。この境界線は、北はブリテンの大西洋沿岸から始まり、ヨーロッパを横断して黒海へと至り、さらに赤海を経て北アフリカを渡り再び大西洋沿岸に達する、約5,000キロメートルにも及ぶ広大なものです。

現在、このローマの境界線の名残として、壁の遺構や壕、要塞、監視塔、さらには民間の集落などが確認されています。一部は発掘されており、また一部は復元されているものもありますが、いくらかは破壊されてしまった状況です。ドイツにおけるローマ境界線の2つのセクションは、国の北西部から南東部のダニューブ川までの550キロメートルにわたっています。

特に注目すべきは、イギリスに存在するハドリアヌスの壁(Hadrian's Wall)です。この壁は、ハドリアヌス帝の命令により約122年に建設され、ローマのブリタニア州の最北端を守るための重要な防衛構築物です。この壁は軍事区域の組織化の素晴らしい例であり、古代ローマの防衛技術や地政学的戦略を示しています。

同様に、スコットランドのアントニヌスの壁(Antonine Wall)は、142年にアントニヌス・ピウス帝によって開始された60キロメートルの長さを持つ防御施設で、北方の「野蛮人」からの防衛を目的としています。この壁は、ローマの境界線の北西端を構成しています。

ローマ帝国の境界線は、単なる防衛のための壁ではなく、文化的、経済的交流の重要なルートでもありました。ローマはこの境界を越えて、周辺地域との交易や文化交流を行い、広範な影響力を持つことができました。この境界線は、帝国が持っていた壮大な力とビジョンを現在に伝えています。

「ローマ帝国の境界線」は、その歴史的価値からユネスコの世界遺産に登録されており、訪れる人々に古代ローマの影響を感じさせる特別な場所となっています。これらの遺構は、古代の軍事、政治、社会の正体を明らかにし、ローマという大帝国の枠組みを理解するための貴重な手がかりとなっています。

「ローマ帝国の国境線」はどこにある?