その主張は事実か?「ミイラ燃料説」の真偽
結論から先に述べましょう。ミイラが汽車の燃料として広く使われていたという主張は、歴史的な事実としては確認されていません。これは後世に生まれた「都市伝説」である可能性が極めて高いと考えられます。
この説が生まれた背景には、いくつかの逸話が関係しているようです。19世紀後半、エジプトから大量のミイラが輸出され、その一部がバラスト(船の重り)として運ばれ、燃料や肥料として処分された、という話が存在します。
しかし、これも事実かどうかは定かではありません。さらに決定的なのは、時代設定の矛盾です。蒸気機関車が広く普及するのは19世紀以降であり、物語の舞台とされる「18世紀」には、燃料を大量消費する汽車はまだ存在していませんでした。
物理的な観点からも、ミイラは石炭や薪に比べて燃料効率が良いとは考えにくく、何より古代の遺物を継続的に供給するのは非現実的です。これらの点から、この話が事実であるとは考えにくいのです。
燃料ではないとすれば?歴史におけるミイラの「利用法」
では、人類はミイラをどのように扱ってきたのでしょうか。そこには、現代の我々の想像を超える、奇妙な利用の歴史が存在しました。
- 万能薬「ムミア」として 中世から近世のヨーロッパでは、ミイラは万能薬「ムミア(Mumia)」として珍重されていました。粉末にされ、痛み止めから疫病対策まで、あらゆる病に効くと信じられていたのです。需要は非常に高く、本物が不足し、新鮮な死体で偽造品が作られることさえありました。
- 顔料「ミイラブラウン」として 17世紀から19世紀にかけては、絵の具の顔料としても利用されました。ミイラの肉や骨を粉砕して作られる「ミイラブラウン」という茶色の顔料は、その独特の深みから、多くの画家に愛用されたと言われています。
このように、ミイラは薬や顔料として、実際に「消費」されていたのです。
都市伝説はなぜ生まれたのか?
歴史的な裏付けがないにもかかわらず、「ミイラ燃料説」が語り継がれるのはなぜでしょうか。
一つには、ミイラが薬や顔料として利用されていた衝撃的な事実が、「ミイラは何にでも使われた」という漠然としたイメージを増幅させた可能性が考えられます。その過激なイメージが、当時の最先端技術であった「汽車」と結びつき、よりセンセーショナルな物語へと発展したのかもしれません。
また、19世紀に大量のミイラが粗末に扱われたという逸話が、尾ひれをつけ、壮大な物語に変わっていったのでしょう。ミイラという存在が持つ神秘性も、人々の想像力を掻き立て、奇妙な物語を生み出す土壌となりました。
結論:都市伝説という名の「歴史の隠し扉」
「ミイラは汽車の燃料だった」という主張は、歴史的根拠に乏しい都市伝説であると結論づけるのが妥当です。時代背景、物理的・経済的な合理性を欠いており、事実として成立しません。
しかし、なぜこの話に私たちはこれほど惹きつけられるのでしょうか。
それは、この都市伝説が、ミイラが薬や顔料として実際に「利用」されていたという、我々の常識を超える歴史の真実を映し出しているからです。都市伝説は、歴史の表通りから忘れ去られた人々の営みや価値観を垣間見せる「歴史の隠し扉」なのかもしれません。
その扉を開けるとき、私たちは単なる真偽を超えた、歴史の奥深い物語と出会うことができます。ミイラが汽車を動かすことはなかったでしょう。しかし、その奇妙な物語は、私たちの知的好奇心を未来へと走らせる、尽きることのない燃料となるのです。