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「合衆国」は世紀の誤訳か?福沢諭吉が“United States”に託した、もう一つの建国神話

「合衆国」は世紀の誤訳か?福沢諭吉が“United States”に託した、もう一つの建国神話
「合衆国」は世紀の誤訳か?福沢諭吉が“United States”に託した、もう一つの建国神話

アメリカ合衆国の「合衆国」は誤訳なのでしょうか。英語の“States”(州)を、なぜ福沢諭吉は「衆」と訳したのでしょう。これは単なる言葉の問題ではありません。幕末の日本が「国家」という未知の概念と格闘し、一人の天才が翻訳を通じ、日本の未来を模索した知られざる建国の物語です。その真実に迫ります。

我々の知らない「アメリカ」

「アメリカ合衆国」。

私たちが学校で習い、ニュースで聞き、日常会話で使うこの国名に、壮大な「誤訳」の嫌疑がかけられていることをご存知でしょうか。

英語の正式名称は、“The United States of America”。その中核をなす“United States”は、文字通りに訳せば「連合した諸州」となります。主権を持つ、あるいはそれに準ずる複数の「州(States)」が、一つの憲法の下に連合している。それがこの国の成り立ちの根幹です。

ならば、なぜ私たちは「合州国」ではなく、「合衆国」と呼ぶのでしょうか。“States”が、なぜ「衆」になったのでしょう。

この問いは、単なる言葉のミスマッチを指摘するトリビアではありません。それは、近代日本の夜明け前、私たちの祖先が「国家」という巨大で未知なる概念といかに格闘したかの証であり、一人の天才が、翻訳という名の「創造」行為を通して、未来の日本の形を指し示そうとした、壮大な知的冒険の物語なのです。

さあ、時を遡ってみましょう。黒船の煙が日本の空を覆った、あの激動の時代へ。言葉が生まれ、国家が形作られようとしていた、その瞬間のただ中へとご案内します。

黒船が運んだ「未知の国号」――幕末翻訳戦争の混沌

嘉永6年(1853年)6月3日、浦賀沖。突如として現れた4隻の蒸気船は、日本に開国を迫る脅威であると同時に、一つの巨大な「謎」を突きつけました。マシュー・ペリー提督が携えてきたフィルモア大統領の国書。そこに記されていた署名は、幕府の役人たちを困惑の淵に突き落としました。

“President of the United States of America”

「プレジデント」とは何か。「ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカ」とは、そもそも何と読むのか、どういう意味なのか。当時の応接にあたった浦賀奉行所の役人や、幕府から急行した儒官・林大学頭(はやしだいがくのかみ)らは、前代未聞の事態に直面していました。彼らの頭にあったのは、清国や朝鮮、オランダといった旧来の国際秩序であり、王も皇帝もいない「共和国」という概念は、理解の範疇を遥かに超えていたのです。

『ペリ提督日本遠征記』には、日本側が公式文書でアメリカを「北亜墨利加合衆国」と表記したことが記録されていますが、これは後年の整理であり、現場では凄まじい混乱がありました。まず、国名そのものを日本語でどう表現するのか。ここに、近代日本初の知的総力戦、「幕末翻訳戦争」の火蓋が切って落とされたのです。

当時の知識人たちがアクセスできた情報は、主にオランダ経由の断片的な知識(蘭学)と、漢籍(中国の書物)に限られていました。彼らは、その限られた武器で、未知の概念に挑んでいきました。

その結果、多種多様な訳語が乱立する、まさに百家争鳴の状態が生まれました。

  • 亜墨利加合州国(あめりか がっしゅうこく): 最も合理的で、英語の原義に忠実な訳語と言えます。“States”を「州」と訳し、その連合体とする。実直で正確性を重んじる、蘭学者的な発想から生まれた訳語でしょう。しかし、この訳語には、どこか無機質で、単なる行政区画の寄せ集めという以上の思想的な深みを感じさせる力はありませんでした。
  • 亜米利加共話国(あめりか きょうわこく): これは“Republic”(共和国)の訳語である「共和」の概念と混同したものかもしれません。「王のいない国」という驚きが、「民が共に話し合って物事を決める国」というイメージを生み、「共話」という独創的な言葉につながりました。実態とは少し異なりますが、当時の日本人が抱いたであろう「王政ではない政治体制」への驚きと探求心が垣間見えます。
  • 米利堅聯邦(めりけん れんぽう): 中国(清)で当時使われていた訳語の影響を受けたものです。“United”を「聯邦(連邦)」と訳すこの言葉は、政治制度の形態を的確に捉えており、これもまた有力な候補でした。
  • 衆民公議国(しゅうみんこうぎこく): まさに民主主義の本質を捉えようとした、意欲的な訳語です。「衆民」、すなわち多くの人々が、「公に議する」国。これはもはや翻訳というより、その国の理念を解釈し、新たな言葉を創造する試みでした。

これらの訳語は、どれも一長一短でした。当時の知識人たちは、この新しい国の「形」だけでなく、その「魂」――すなわち、多数の独立した主体が、いかなる理念の下に一つの国家として結合しているのか――を表現する、決定的な言葉を見つけられずにいたのです。

翻訳とは、辞書を引いて単語を置き換える機械的な作業ではありません。それは、異文化の思想、歴史、価値観の総体を理解し、自国の言語世界と精神風土の中に、新たな根を張らせる、途方もない知の格闘なのです。この混沌とした「幕末翻訳戦争」に、決定的な一石を投じ、終止符を打つことになる人物の登場を、時代は待っていました。

福沢諭吉の決断――なぜ「州」ではなく「衆」を選んだのか

その人物こそ、福沢諭吉です。彼は机上の知識人ではありませんでした。咸臨丸の乗組員として、また幕府の遣欧使節の一員として、三度にわたり欧米の土を踏んだ、稀有な実践知の持ち主でした。彼は、サンフランシスコの街で、ごく普通の人々が政治や社会について堂々と議論する姿に衝撃を受け、ワシントンD.C.の議事堂で、国家の行く末が民の代表者によって決められていくダイナミズムを目の当たりにしました。彼が見たのは、書物に描かれた「制度」としての西洋ではなく、人々が生き、国家を動かす「現場」としての西洋だったのです。

慶応2年(1866年)、この類まれな経験知を胸に、福沢はその後の日本を決定づける歴史的ベストセラー『西洋事情』を上梓します。この中で、彼は数ある候補の中から、断固として“United States”の訳語に「合衆国」を選びました。

ここに、「誤訳説」の核心があります。“States”はあくまで統治単位としての「州」であり、「人々」を意味する“People”ではないからです。文字通り捉えれば、これは明らかな誤りです。福沢ほどの知性が、なぜこんな初歩的な「間違い」を犯したのでしょうか。

その答えは、彼が翻訳において、何よりも重視していたものにあります。福沢の狙いは、単語の表層的な一致などではありませんでした。彼が見据えていたのは、アメリカという国家を成り立たせている根本思想、すなわち「人民主権(ポピュラー・ソブレンティ)」という「魂」そのものだったのです。

『西洋事情』初編、巻之一で、彼は「合衆国」についてこう解説しています。 「亞墨利加(あめりか)の政治は、大統領より下の諸官吏に至るまで、皆全國の人民、之(これ)を選挙して暫時(ざんじ)其職に任ず。故に此國を合衆國と名(なづ)く。又、共和政治と云ふ。」

この一文こそ、福沢の思想の核心を解き明かす鍵です。 注目すべきは、彼が「合衆国」と呼ばれる理由を、「多くの州が合わさっているから」とは一言も説明していない点にあります。彼が挙げた理由は、ただ一つ。「全國の人民」が選挙によって代表者を選ぶ政治体制だから、というものでした。

福沢は、“States”(州)という器の背後に、その器を満たし、動かす主体である“People”(人民/衆)の存在を、誰よりも鋭く見抜いていたのです。

彼にとってアメリカの本質とは、領土としての「州」の連合体などではありませんでした。主権者たる、血の通った「人民(衆)」の連合体だったのです。「州」という漢字が持つ、どこか無機質で行政的な響きを、彼は意識的に避けました。そして、国家の真の主体たる「衆」という、人間味あふれる一字を、確信を持って選び取りました。

これは、東洋の伝統的な「民」の思想からの、決定的な跳躍でもありました。儒教において「民」は、為政者が慈しみ、正しく導くべき客体(オブジェクト)として捉えられがちです。しかし、福沢が用いた「衆」は、自らの意思で代表者を選び、国家を動かす主体(サブジェクト)としての、近代的な「人民(People)」のニュアンスを色濃く帯びています。

それは、リンカーンがゲティスバーグの丘で「人民の(of the people)、人民による(by the people)、人民のための(for the people)政治」と、あの不滅の演説を行う、その思想の核心を、福沢が太平洋の彼方で独自に掴み取り、日本語の世界に移植しようとした、驚くべき知的共鳴だったと言えます。

「誤訳」を越えて――翻訳という名の「国家創造」

したがって、「合衆国」は誤訳ではありません。それは、福沢諭吉による世紀の「創造的翻訳」だったのです。

彼は単に国名を訳したのではありませんでした。彼は、西洋近代が産んだ「共和国」「連邦制」「人民主権」という、当時の日本人には全く未知であった複雑な思想のパッケージ全体を、「合衆国」という、力強く、覚えやすい三文字の言葉に凝縮し、提示して見せました。

  • 「合」: 州ごとの独立性を尊重しつつも、一つの理念の下に結合する「連合(United)」の精神。
  • 「衆」: 国家の主権が、世襲の君主ではなく、選挙権を持つ人民(People)にあるという「民主」の理念。
  • 「国」: それらが一体となった、新しい「国民国家(Nation-State)」の形。

この「合衆国」という言葉のインパクトは絶大なものでした。『西洋事情』は爆発的なベストセラーとなり、武士から町人まで、多くの日本人がこの本を手に取りました。そして、福沢が創造した「合衆国」という言葉を通して、初めて「人民が主役の国」という概念に触れたのです。

この知的衝撃は、日本の近代化を担う他の知識人たちにも伝播しました。福沢の「合衆国」は、彼らが次々と生み出していく新しい翻訳語の潮流の、まさに先駆けとなったのです。

例えば、西周(にし あまね)は“Philosophy”を「哲学」、“Art”を「芸術」と訳し、私たちの思考の土台を築きました。中村正直(なかむら まさなお)は、ジョン・スチュアート・ミルの『On Liberty』を『自由之理』として紹介し、「自由」や「権利」という言葉を日本に定着させました。彼らは皆、単語を置き換えていたのではありません。西洋文明の「概念」そのものを、日本語という畑に植え付け、育てるという、国家創造にも等しい事業に従事していたのです。「合衆国」は、この壮大なプロジェクトの金字塔だったのです。

そして、この福沢の選択は、やがて個人の見解の域を超え、国家の公式見解へと昇華していきました。明治新政府は、発足当初、アメリカの国名をどう呼称するか、統一見解を持っていませんでした。しかし、岩倉具視を全権大使とする大規模な遣米欧使節団(岩倉使節団)がアメリカの地を踏み、その国力を目の当たりにする中で、福沢の「合衆国」という訳語の的確性が、政府首脳たちの共通認識となっていきました。

彼らは、アメリカの強大さが、単に広大な領土や豊かな資源だけでなく、それを運営する「人民」の活力、すなわち「衆」の力にこそあることを見抜きました。福沢が言葉に込めた思想が、現実の国家の姿として彼らの眼前に現れたのです。こうして、「アメリカ合衆国」は、日本の公文書や条約文で用いられる正式な国名として、揺るぎない地位を確立していきました。

なぜ今も「合衆国」なのか――国名が語りかけるもの

一度定着した言葉は、強い慣性力を持つものです。私たちが今も「アメリカ合衆国」と呼び続ける最大の理由は、この歴史的な定着と慣習にある、と言ってしまえばそれまでかもしれません。

ですが、理由はそれだけではないでしょう。私たちがこの呼称を使い続けることは、単なる惰性ではなく、もっと積極的な意味を持っています。私たちはこの言葉を使うことで、福沢諭吉ら幕末・明治の知識人たちが、未知の文明と対峙し、格闘し、新しい日本の国語と国家像を創造しようとした、その歴史的遺産を、無意識のうちに肯定し、受け継いでいるのです。

戦後、日本がGHQの下で民主化を推し進めたとき、「合衆国」という言葉が内包していた「人民主権」の理念は、奇しくも新たな意味を帯びることになりました。福沢が150年近く前に蒔いた「衆」の国の種子が、敗戦という厳しい冬を経て、日本国憲法という形で新たな芽吹きの時を迎えた、と見ることもできるかもしれません。

「合衆国」という言葉の裏には、「州の連合」という政治体制の説明と同時に、「人民が主権を握る国」という思想的メッセージが、今なお二重写しになっています。この絶妙な多義性と歴史的な奥行きこそが、この訳語が世紀を超えて生き続けてきた力の源泉なのです。

「アメリカ合衆国 誤記」という説は、言葉の表面だけをなぞる、いわば知的なショートカットです。しかし、その奥に広がる歴史の地層に分け入るとき、私たちは翻訳という行為の奥深さと、それが時に国家の運命すら左右するほどの力を持つという事実に戦慄します。言葉は、時代精神を映す鏡であり、未来を創造する道具なのです。

まとめ:あなたの隣にある「合衆国」

福沢諭吉の「合衆国」は、遠い外国の国名であると同時に、近代日本が自らを映し出すために掲げた、一枚の鏡でもありました。
そして、それは未来の私たちに宛てた、一つの問いかけでもあります。
「君たちの国は、君たちの社会は、真に『衆』が『合わさった』国になっているか?」と。

普段、私たちが何気なく使う言葉の一つ一つに、先人たちの格闘と思索の痕跡が、年輪のように刻まれています。「社会」「経済」「文化」「自由」「権利」「哲学」。これら全てが、かつては日本に存在しなかった概念であり、誰かが悩み、考え抜き、創造した「作品」なのです。

国名一つをとっても、これだけの物語が隠されています。
次にあなたが「アメリカ合衆国」という文字を目にしたとき、思い出してみてはいかがでしょうか。その四文字の向こうに広がる、幕末の混沌と、福沢諭吉の静かなる情熱、そして「人民の国」への夢が託された、もう一つの建国神話の存在を。

言葉の世界への探求は、私たちが生きるこの世界そのものを、より深く、より豊かに照らし出してくれる、終わりのない冒険なのです。

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