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ボスニア・ヘルツェゴビナ

Bosnia and Herzegovina

ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)は、バルカン半島に位置する美しい国であり、歴史的、文化的な多様性を持つ地域です。周囲はクロアチア、セルビア、モンテネグロに囲まれており、アドリア海まで約20キロの距離にあります。国の名前は、ボスニアとヘルツェゴビナという二つの地理的地域に由来しています。 この国は、1992年から1995年まで続いたボスニア内戦を経...もっと見る

ボスニア・ヘルツェゴビナ」基本情報

正式名称 ボスニア・ヘルツェゴビナ
英語名 Bosnia and Herzegovina
首都 サラエボ(Sarajevo)
公用語 クロアチア語、セルビア語、ボスニア語
地域 ヨーロッパ /南ヨーロッパ
通貨 兌換マルク(KM and КМ)
パスポート
総人口  318万人
平均年齢  44.915歳
国内総生産(GDP)  244億7,390万8,292ドル
国民総所得(GNI)  240億9,669万7,014ドル
一人当たりGDP  7,569 ドル
一人当たりGNI  7,452 ドル
面積 51,200 ㎢
人口密度 62.212人/㎢

ボスニア・ヘルツェゴビナ」の年齢層別人口

ボスニア・ヘルツェゴビナ」人口統計情報

総人口 318万人
男性人口 151万人
女性人口 167万人
人口変化 -18,786人
人口増加率 -0.590% -
出生数 24,569人
平均出産年齢 29.037歳
平均寿命 77.850歳
男性平均寿命 74.424歳
女性平均寿命 80.903歳
総死亡者数 42,861人
純移民数 -485人

ボスニア・ヘルツェゴビナの豆知識?

「ボスニア」は北部地域の名称、「ヘルツェゴビナ」は南部地域の名称で、この2つが合わさって国名が成立しています。中世の公爵位(Herceg)をもとにした呼び名である「ヘルツェゴビナ」は「公爵の土地」という意味合いがあります。

サラエボはオスマン帝国時代から多様な文化が交わってきた都市で、「ヨーロッパのエルサレム」と呼ばれています。イスラム教、正教会、カトリック、ユダヤ教の宗教施設が点在し、異なる文化が隣り合っているのが特徴です。

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件(1914年)や、1992年から1995年にかけての紛争による多大な被害など、近現代史において重大な出来事が起きた地域としても知られています。

主にボシュニャク人(ボスニア人)、クロアチア人、セルビア人の3つの主要民族が暮らしており、それぞれ言語や宗教が異なります。ボシュニャク人はイスラム教、クロアチア人はカトリック、セルビア人は正教会を信仰していることが多いです。

はい。1984年に冬季オリンピックがサラエボで開催されました。当時のユーゴスラビアの一部として行われた大会で、ボブスレー会場やスキー会場などの跡地が今も残っています。

トルコや中東、バルカン半島などの影響を受けており、肉や野菜をじっくり煮込んだ家庭料理が多いです。特に「チェバプチチ(Ćevapi)」と呼ばれる小さなソーセージや「ボスニア風コーヒー」は定番の名物です。

スタリ・モストは、ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市モスタルにある16世紀建造の橋です。オスマン帝国時代に建設され、美しいアーチが特徴で、紛争によって一度破壊されましたが、ユネスコの支援のもと再建され、世界遺産に登録されています。

はい。スティエスカ国立公園にある「ペルチツァの原生林」は、ヨーロッパでも数少ない原生林のひとつとして知られています。多様な動植物生態系が保たれていて、自然の豊かさを感じられる場所です。

デイトン和平合意(1995年)によって、連邦構造と共和国構造が混在する特殊な体制が導入されました。国は「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」「スルプスカ共和国」「ブルチコ特別区」の3つの単位に分かれて統治されています。

「兌換マルカ(Convertible Mark、略称:BAM)」という通貨が使われています。1マルカを100フェニンに分けており、ドイツマルクを基盤としたレートで導入されました。

本当です。トルココーヒーの流れをくむ「ボスニア風コーヒー」は、小さな銅のポットで煮出し、そのまま提供されるのが特徴で、砂糖や角砂糖を添えてゆっくり味わう習慣があります。

サラエボの旧市街で歴史ある建築や文化が楽しめるほか、モスタルの美しい橋や自然公園など見どころが豊富です。イスラム文化とヨーロッパ文化が交錯する独特の雰囲気を体感できるのも魅力です。

サッカー選手のエディン・ジェコはボスニア・ヘルツェゴビナ代表のエースストライカーで、ヨーロッパのトップリーグで活躍しています。また、バスケットボール選手のユスフ・ヌルキッチもNBAでプレーしており、国内では誇りとされています。

1990年代の紛争後、日本はボスニア・ヘルツェゴビナに対して経済的・人道的支援を行いました。復興支援や文化交流を通じて、両国の関係が深まったと言われています。

家族や友人との時間を大切にし、もてなしの精神が強いことで知られています。初対面の相手にも温かく接し、コーヒーを振る舞うなど、ゆったりとしたコミュニケーション文化が根付いているのが特徴です。

MAP「ボスニア・ヘルツェゴビナの首都 - サラエボ」

ボスニア・ヘルツェゴビナってどんなところ?

ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)は、バルカン半島に位置する美しい国であり、歴史的、文化的な多様性を持つ地域です。周囲はクロアチア、セルビア、モンテネグロに囲まれており、アドリア海まで約20キロの距離にあります。国の名前は、ボスニアとヘルツェゴビナという二つの地理的地域に由来しています。

この国は、1992年から1995年まで続いたボスニア内戦を経て、1995年に締結されたデイトン合意により独立国としての地位を確立しました。この合意は、国の分断と多民族共生の道筋を作り出し、ボスニア・ヘルツェゴビナには三つの主要な民族、すなわちボシュニャク(ムスリム)、セルビア人、クロアチア人が共存しています。民族間の複雑な関係が影響を及ぼす中で、国家の統治理は今なお課題となっています。

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都はサラエボ(Sarajevo)であり、歴史的な重要性を持つ都市です。この都市は、オスマン帝国時代の影響を色濃く残しており、古いモスクやバザールが点在しています。また、サラエボは1914年にオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンドが暗殺された場所でもあり、この事件が第一次世界大戦の引き金となりました。この歴史的背景を持つサラエボは、混沌とした歴史を語り継ぐ重要な都市でもあります。

ボスニア・ヘルツェゴビナには、自然景観も豊かです。エルイチカ川やネレトバ川などの美しい川、さらには山岳地帯も広がっています。特に、オリンピックの舞台となったイグマン山やビャニャ山は、ハイキングやスキーなどのアウトドア活動が楽しめるスポットとして人気があります。さらに、国立公園や保護区も多く、野生動物や自然を間近で観察することができます。

文化的には、ボスニア・ヘルツェゴビナは多様性に富む国です。各民族の伝統や祭り、音楽、料理などが共存し、それが国の強みとなっています。特に、ボスニア料理は、地中海の香りを残しながらもオスマン帝国の影響を受けている点が特徴です。スルバ(焼き肉)、ボレク(肉や野菜を包んだペイストリー)、ハルヴァ(デザート)など、地域独特の料理を味わうことができます。

観光資源も豊富で、世界遺産に登録されているモスタルの古橋や、ビイェニャとイェルゼグという歴史的な町には多くの訪問者が集まります。また、歴史的な建造物や戦争の遺産も多く点在しており、訪れる人々に深い印象を与えます。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、過去の痛みを乗り越えつつ、未来への希望を抱いている国です。訪れる人々は、豊かな文化、素晴らしい自然、そして人々の温かさを感じることができるでしょう。国際的な側面では、EUやNATOへの加盟を目指しており、地域の安定化に向けた努力も続けられています。このような背景を持つボスニア・ヘルツェゴビナは、訪れる価値のある特別な場所であると言えるでしょう。