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パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区

南アメリカ / パナマ / 文化遺産

基本情報

遺跡名称 パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区
遺跡名称(英語) Archaeological Site of Panamá Viejo and Historic District of Panamá
国名 パナマ
登録区分 文化遺産  
登録基準(登録基準とは) (ii)(iv)(vi)
世界遺産登録年 1997年
資産面積 57.4ha

世界遺産「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区」の登録理由や特徴について

パナマの「パナマ・ビエホ考古学遺跡と歴史地区」は、1519年に征服者ペドラリアス・ダビラによって設立され、アメリカ大陸の太平洋沿岸における最古のヨーロッパの定住地です。パナマ・ビエホは、整然とした直線的なグリッド構造で設計されており、ヨーロッパから計画的な町の概念が新世界に移転されたことを示しています。しかし、17世紀半ばに放棄され、新たに「歴史地区」として知られる「新しい町」が築かれました。この歴史地区も、オリジナルの街路計画や建築スタイルを保持しており、スペイン、フランス、初期アメリカのスタイルが融合した珍しい建築様式が見られます。

パナマ・ビエホは、植民地時代の歴史を物語る重要な遺産であり、その廃墟は当時の繁栄を今に伝えています。市の中心に位置するサロン・ボリバルは、1826年に「解放者」シモン・ボリバルが多国籍大陸会議を設立しようとした際の会場でしたが、残念ながらその試みは成功しませんでした。このように、パナマ・ビエホは単なる遺跡にとどまらず、ラテンアメリカの歴史と文化の重要な側面を反映しています。

歴史地区には、教会や広場、要塞などの特徴的な建築物が点在し、訪れる人々に当時の生活様式や文化の息吹を感じさせます。また、周囲の自然環境と調和した景観も魅力の一部です。この地はUNESCO世界遺産に登録されており、多くの観光客を魅了しています。観光客は、パナマ・ビエホの考古学的遺産を探索しながら、その歴史的背景を学び、また美しい景色を楽しむことができます。

このように、「パナマ・ビエホ考古学遺跡と歴史地区」は、歴史の深さと文化の多様性を体験できる特別な場所であり、パナマのアイデンティティの一部を形作っています。観光地としての魅力だけでなく、訪れた人々に貴重な学びと感動を提供する場所でもあります。

「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区」はどこにある?