スペイン語の「ecuador」は赤道という意味
スペイン語で ecuador は「赤道」を意味する普通名詞です。
スペイン王立アカデミーの辞書は、ecuador を「地球の両極から等距離にある大円」と定義しています。
| 表記 | 意味 |
|---|---|
| ecuador | 地理上の赤道 |
| Ecuador | 国名のエクアドル |
| República del Ecuador | エクアドル共和国 |
日本語でいえば、「赤道共和国」に近い意味の国名です。
エクアドルの国土を本当に赤道が通っている
赤道はエクアドル大陸部の北側を横切り、太平洋上ではエクアドル領のガラパゴス諸島付近も通ります。そのため、国土には北半球側と南半球側があります。
ただし、赤道が通る国はエクアドルだけではありません。南アメリカではコロンビアとブラジル、アフリカではケニアやウガンダ、アジアではインドネシアなども赤道上に領域を持ちます。
「赤道が通る唯一の国」だから名付けられたわけではありません。地理上の特徴が科学活動を通じて地域名として広がり、19世紀に国名へ採用された点が重要です。
18世紀、地球の形をめぐる論争があった
現在では、地球が完全な球ではなく、極の方向に少しつぶれ、赤道付近がふくらんだ形であることが知られています。
しかし18世紀前半のヨーロッパでは、地球がどの方向につぶれているのかについて、観測と理論の結果が一致していませんでした。
この問題を確かめる方法の一つが、緯度1度に相当する子午線の長さを、異なる緯度で測って比較することです。
- 極に近い場所で1度が長ければ、地球は極方向につぶれている
- 赤道に近い場所で1度が長ければ、赤道方向につぶれている
フランス科学アカデミーは、北極圏に近いラップランドと、赤道に近い南アメリカへ測地隊を送りました。
フランス国立図書館によると、ラップランドでの測定値と、アンデスで得られた1度約110.61kmという結果を比較することで、地球が極方向に扁平な形であることが裏付けられました。
測地遠征は1736年に現在のエクアドルへ入った
赤道側の遠征は、当時スペイン領だったキト周辺で行われました。
中心となったフランス科学アカデミーの研究者は、次の3人です。
- ルイ・ゴダン
- ピエール・ブーゲ
- シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ
スペイン王室は領内での調査を認める条件として、海軍士官ホルヘ・フアンとアントニオ・デ・ウリョアを参加させました。スペイン海軍は、2人が1736年から1744年までキトの測地遠征に加わったと説明しています。
現在のエクアドル出身の地理学者ペドロ・ビセンテ・マルドナドも、測量や地図作成に関わりました。
1750年に刊行されたマルドナドの「キト地方図」には、パリ科学アカデミーの研究者、カディスの海軍士官、マイナス地方の宣教師らによる観測を利用したことが記されています。
遠征を「フランス人3人だけの事業」と理解するのは正確ではありません。
山の頂点を結び、子午線の長さを測った
測地隊の目的は、赤道上に線を引くことではありません。
アンデス山地で基準となる距離を測り、山頂などの見通せる点を三角形で結ぶ「三角測量」を繰り返しました。角度と一部の実測距離から、長い区間の距離を計算する方法です。
さらに天体観測を行い、緯度差と南北方向の距離を対応させ、子午線弧の長さを求めました。
1746年に作られたゴダン、ブーゲ、ラ・コンダミーヌらの地図にも、キト周辺の子午線と海岸を天文・幾何学的に測定したことが明記されています。
遠征は「赤道を発見した」のではない
記事や観光案内では、「フランスの科学者がエクアドルで赤道を発見した」と表現されることがあります。
しかし、赤道という概念は古代から存在し、現在のエクアドルにも遠征以前から多様な社会と天文観測の知識がありました。
遠征隊が行ったことは、次のように整理できます。
- 赤道付近で子午線弧を高い精度で測った
- 高緯度地域の測定結果と比較した
- 地球が極方向につぶれた形であることを裏付けた
- キト周辺の地図と座標情報を詳しくした
- 報告書や地図で「Équateur」という地域表現を広めた
キト市も、この遠征を当時の機材で高い精度に達した測地学上の成果として紹介しています。
科学用語の「赤道」が地域名として広まった
遠征隊の刊行物では、フランス語の Équateur が繰り返し使われました。
ラ・コンダミーヌが1751年に刊行した旅行記の題名も、「赤道への、王命による旅行記」という意味です。
当時の行政上の地域名は、主にキト王立アウディエンシアなどでした。Équateur は、最初から現在と同じ国を指す正式名称だったわけではありません。
それでも、科学書、旅行記、地図で「赤道地方」を表す名称が繰り返されたことが、後の国名へつながったと説明されています。
エクアドル国会は2010年10月19日、測地遠征が海岸部のプンタ・パルマルから観測を始め、1736年に岩へ赤道に関する銘文を残したことを理由に、マナビ県ペデルナレスを「エクアドルの名の起源」と宣言しました。
ただし、これは18世紀の出来事をたたえる後世の公式決議です。「一つの銘文だけで国名が決まった」と単純化しない方がよいでしょう。
1830年、「エクアドル」が国家の名称になった
現在のエクアドル一帯は、スペインからの独立戦争を経て、コロンビア、ベネズエラなどとともに大コロンビアを構成していました。
その南部地区が大コロンビアから分離し、1830年5月13日、新しい共和国が宣言されます。エクアドル外務省も、この日をフアン・ホセ・フローレスの下で共和国が成立した日としています。
同年に制定された最初の憲法は、文書の表題から「エクアドル国憲法(Constitución del Estado del Ecuador)」です。
ここで、科学・地理の文脈で使われていた「赤道」が、新しい国家の固有名詞として法的に定着しました。
なぜ「キト共和国」ではなかったのか
新国家には、キトだけでなく、グアヤキルやクエンカを中心とする地域も含まれていました。
そのため、特定の一都市だけを前面に出す名称より、国土を横切る地理上の線を示す「エクアドル」は、複数地域をまとめる国名として使いやすかったと考えられます。
ただし、今回確認した1830年憲法には、「地域間の対立を避けるためこの名を選んだ」といった命名理由は記されていません。
確実に確認できる事実は次のとおりです。
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18世紀の測地遠征が
Équateurを地理・科学の名称として用いた - 1830年に大コロンビア南部が分離した
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1830年憲法が新国家を
Estado del Ecuadorと呼んだ - 国会は2010年、測地遠征と国名のつながりを公式に顕彰した
命名会議の詳細な記録を確認しないまま、一人の人物を「国名の発案者」と断定するのは避けるべきです。
「ミタ・デル・ムンド」は国名の歴史を体験できる場所
首都キトの北側には、「ミタ・デル・ムンド(Mitad del Mundo)」と呼ばれる観光・文化施設があります。日本語では「世界の真ん中」という意味です。
大きな記念碑や赤道を象徴する線があり、施設内のフランス館では測地遠征と測量器具の歴史が紹介されています。
ここで注意したいのが、観光用の線と、現代の測地学で定義される緯度0度の違いです。
現在、スマートフォンや衛星測位で使われるWGS 84は、地球の重心と回転軸、基準楕円体を用いて緯度・経度・高さを定める三次元の座標基準です。
18世紀の天文観測、後世の記念碑、現代の衛星測位では、測定方法も基準も異なります。スマートフォンの表示と観光施設の線に差があっても、それだけで測地遠征全体を「失敗」と評価することはできません。
測地遠征がメートルを直接つくったわけではない
測地遠征について、「エクアドルでの測定から1メートルが決まった」と説明されることがあります。
しかし、現在のエクアドルでの遠征は1730~1740年代です。フランスで地球の子午線を基準にメートルを定める事業が本格化したのは、その後のフランス革命期でした。
エクアドルでの遠征は、地球の形を理解し、精密な測量技術を発展させた重要な前史です。ただし、ここで測った子午線弧がそのままメートルの直接的な定義値になったわけではありません。
まとめ
エクアドルという国名は、スペイン語で「赤道」を意味します。
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普通名詞の
ecuadorは赤道のこと -
国名では
Ecuadorと大文字で始める - エクアドルの大陸部とガラパゴス諸島付近を赤道が通る
- 赤道が通る国はエクアドルだけではない
- 1736年からキト周辺で国際的な測地遠征が行われた
- 目的は子午線弧を測り、地球の形を確かめることだった
- フランス、スペイン、現地の研究者や協力者が関わった
- 遠征記録によって「赤道地方」という名称が広まった
- 1830年、大コロンビア南部が分離し、「エクアドル」が国家名となった
- ミタ・デル・ムンドは国名と測地学の歴史を伝える文化施設である
エクアドルの名は、地図上の一本の線だけを表しているのではありません。
地球を測ろうとした人々と、新しい国家をつくった人々の歴史が、短い国名の中に残っているのです。
この記事に関するクイズ
第1問
スペイン語の「ecuador」は何を意味するでしょう?
- A. 火山
- B. 赤道
- C. 太平洋
- D. アンデス
答え:
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正解:B. 赤道
ecuador は、地球の北極と南極から等距離にある大円、つまり赤道を意味します。
第3問
18世紀の測地遠征の主な目的は何でしょう?
- A. 金鉱を探す
- B. 新しい海路を開く
- C. 子午線弧を測り、地球の形を確かめる
- D. 国境線を決める
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正解:C. 子午線弧を測り、地球の形を確かめる
赤道付近と高緯度地域で緯度1度に相当する距離を比べ、地球が極方向に少しつぶれた形であることを確かめました。
第3問
「エクアドル」が新しい国家の名称として定着した年はいつでしょう?
- A. 1492年
- B. 1736年
- C. 1830年
- D. 1914年
答え:
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正解:C. 1830年
大コロンビア南部が1830年に分離し、同年の最初の憲法は新国家を「エクアドル国」と呼びました。