ブルネイの国土は二つに分かれている
ブルネイ・ダルサラーム国は、ボルネオ島北西岸にある国です。国土面積は5,765平方キロメートルで、次の4地区に分かれています。
| 地区 | 面積 |
|---|---|
| ブルネイ=ムアラ | 570km² |
| ツトン | 1,166km² |
| ブライト | 2,727km² |
| テンブロン | 1,306km² |
面積はブルネイ情報局の国勢資料によります。地区別面積は平方キロメートル単位に丸められているため、4地区の表示値を足した数字は総面積と一致しません。
首都バンダルスリブガワンがあるブルネイ=ムアラ地区、ツトン地区、ブライト地区は西側でつながっています。一方、東端のテンブロン地区は、西側3地区と陸続きではありません。
間に入っているのは、マレーシア・サラワク州のリンバン地区です。
テンブロンは「飛び地」
自国の主要部分から、他国の領土などによって切り離された領域は「飛び地」と呼ばれます。英語では exclave です。
テンブロン地区はブルネイ領ですが、陸上国境はすべてマレーシアと接し、西側のブルネイ領とは陸続きではありません。そのため、ブルネイの陸上の飛び地に当たります。
ただし「孤立した島」ではありません。テンブロンも西側地域も同じボルネオ島の上にあり、間にマレーシア領が入っているのです。北側にはブルネイ湾が広がります。
2025年のブルネイ政府推計では、テンブロン地区の人口は9,500人。国全体の45万8,600人の約2%です。
面積は国土の約23%を占める一方、人口は比較的少なく、広い森林が残る地域です。
なぜブルネイは二つに分かれたのか
現在の国境は、ボルネオ島に最初から引かれていたわけではありません。
ブルネイのスルタン国は、かつて現在より広い地域へ影響力を持っていました。しかし19世紀、内紛や周辺勢力、イギリス人ブルック家が支配したサラワクの拡大などによって領域を失っていきます。
大きな転機となったのが1890年です。サラワクを統治していた第2代「白人王」チャールズ・ブルックが、リンバンをサラワクへ編入しました。
リンバンは、残ったブルネイ領の中央に位置していました。この地域がサラワク側へ入ったことで、西側のブルネイと東側のテンブロンが地理的に分断されます。
この経緯には、当時の住民、ブルネイのスルタン、サラワク政権、イギリス政府の間の複雑な政治関係がありました。単純に「空白地を国境で切り分けた」のではありません。
リンバン問題の成立過程は、ケンブリッジ大学出版の研究論文や、マレーシア国民大学の研究でも1890年の編入を中心に検討されています。
現在の旅行地理を説明する記事では、リンバンがマレーシア・サラワク州にあり、その結果ブルネイ領が二つに分かれているという現状を基本にするのが適切です。
橋ができる前の陸路は国境を2回越えた
橋の開通前、バンダルスリブガワン側からテンブロンへ車で向かう一般的なルートは、マレーシアのリンバンを通るものでした。
移動の流れは次のようになります。
- 西側のブルネイから出国する
- マレーシアへ入国する
- リンバンを横断してマレーシアを出国する
- テンブロン側のブルネイへ再入国する
一回の国内移動でも、出国と入国を繰り返します。ASEANの資料は、約2時間の陸路で4か所の国境検問所を通る必要があったと説明しています。
ここでいう「4か所」は、ブルネイ側とマレーシア側にある出入国管理地点の合計です。単に国境線を2本またぐだけでなく、旅券や車両を確認する施設を順に通る必要がありました。
国外へ出ないもう一つの手段は船だった
マレーシアへ入らずに移動する方法もありました。ブルネイ湾や河川を通る船です。
ASEANの資料では、テンブロンと首都側を結ぶ船の所要時間は約45分とされています。
船は国境検問所を回避できる重要な交通手段でしたが、乗れる人数や運べる荷物に制約があります。自家用車や大型の物資をそのまま運ぶ陸路とも性格が異なります。天候や水上交通の安全も考慮しなければなりません。
つまり、橋ができる前には次の選択がありました。
- 車でマレーシアを経由し、約2時間かける
- 船でブルネイ国内を約45分で移動する
どちらも、現在のようにブルネイ国内だけを自動車で直接移動する方法ではありませんでした。
全長26.3kmの橋がブルネイ湾を横断
この課題を解決するために建設されたのが「スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン橋」です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名称 | スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン橋 |
| 全長 | 26.3km |
| 供用開始 | 2020年3月17日 |
| 西側 | ブルネイ=ムアラ地区 |
| 東側 | テンブロン地区 |
| 主な通過地形 | ブルネイ湾、航路、マングローブ・湿地周辺 |
| 開通後の所要時間 | 首都側まで30分未満 |
ブルネイ地名委員会が国連地名専門家グループの地域会合へ提出した2020年報告書は、橋がブルネイ湾を26.3kmにわたって横断し、マレーシア国境を通らずにブルネイ=ムアラ地区とテンブロン地区を結ぶと説明しています。
橋の名称は長いため、現地資料では頭文字を取って「SHOAS Bridge」と表記されることもあります。
26.3kmはどれくらい長い?
26.3kmは、徒歩で渡る都市の橋という規模ではありません。高速道路を時速60kmで走り続けても、橋の区間だけで約26分かかる長さです。
ブルネイ地名委員会は、この橋を「東南アジアで最も長い海上橋の一つ」と紹介しています。
ただし、「東南アジア最長」と断定する場合は注意が必要です。比較対象に連絡道路を含めるか、海上部分だけを測るか、供用中の橋だけを数えるかによって順位が変わります。
記事では、公式資料に沿って「東南アジア有数の長い海上橋」とするのが安全です。
海の上だけでなく、湿地の上も走る
橋の26.3kmは、海上の一直線な区間だけではありません。ブルネイ情報局が2016年に示した工事区分では、主な橋梁部分は次のように整理されています。
| 主な区間 | 長さ | 特徴 |
|---|---|---|
| 海上高架橋 | 13.4km | ブルネイ湾を横断 |
| 航路橋区間 | 約1.1km | 船舶が通る航路に斜張橋を設置 |
| テンブロン側高架橋 | 11.8km | ラブ川周辺の湿地・森林地帯を通過 |
合計すると26.3kmになります。
船の航路では、橋桁を高くする必要があります。そこで一部には、塔から斜めに張ったケーブルで桁を支える斜張橋が採用されました。
テンブロン側では、道路を地面へ直接盛るだけでなく、高架橋として湿地や森林の上を通します。一本の橋の中で、海、航路、河川、湿地という異なる条件に対応しているのです。
マングローブに囲まれたブルネイ湾
橋が横断するブルネイ湾の内側には、広いマングローブがあります。
ブルネイ森林局によると、国内のマングローブは1万8,418ヘクタールで、その多くがブルネイ湾内側に分布します。
マングローブは、潮の満ち引きがある場所に成立する森林です。魚や甲殻類などの生息・成育場所となり、海岸の侵食を抑え、炭素を蓄える役割も持ちます。
一方、橋や道路の建設には、工事中の濁り、騒音、生息地の分断、交通増加などを管理する必要があります。
「高架橋だから自然への影響がゼロ」とは言えません。地面への盛り土を減らせる構造であっても、建設と供用の影響を継続的に監視することが重要です。
開通で約2時間が30分未満に
ASEANの資料によると、橋の開通によってテンブロンから首都側までの所要時間は30分未満になりました。
| 移動方法 | 橋の開通前/後 | 所要時間の目安 | 国境手続き |
|---|---|---|---|
| マレーシア経由の車 | 開通前から利用 | 約2時間 | 4か所の検問所 |
| 船 | 開通前から利用 | 約45分 | 国外へ出ない |
| 新しい橋を通る車 | 2020年から | 30分未満 | 国外へ出ない |
所要時間は出発地、目的地、交通量、天候で変わります。ここでの数字は、テンブロンと首都側を結ぶ代表的な移動について公表された目安です。
橋の効果は、単に「約90分短縮」という計算だけではありません。
- 旅券を使う国境手続きをせずに移動できる
- 自家用車や国内物流が国外を通らずに済む
- 国境の開閉や隣国の入国条件の影響を受けにくい
- 救急、行政、教育、物資輸送の国内連絡を組み立てやすい
国境を越える時間だけでなく、移動計画の不確実性も小さくなりました。
2020年3月、予定を早めて供用した理由
橋が一般へ開かれたのは、2020年3月17日です。
当時は新型コロナウイルス感染症の拡大によって、ブルネイ政府が国民・住民の出国を制限していました。マレーシアを通る従来の陸路が使いにくくなるなか、国内でテンブロンとの交通を確保する必要性が高まります。
ブルネイ地名委員会の報告書は、感染症流行と国境制限を受けて橋が予定より早く開かれ、人の移動だけでなくテンブロンへの物資供給にも役立ったと説明しています。
橋は長期的な国土連結のために建設されていましたが、最初の供用は、国境に頼らない国内ルートの重要性が急に高まった時期と重なりました。
橋の名前は開通後に決まった
供用開始時、この橋は一般に「テンブロン橋」と呼ばれていました。
正式名称が発表されたのは2020年7月です。ブルネイ国王ハサナル・ボルキアは、父であるスルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン3世をたたえ、その名を橋に付けました。
ブルネイ地名委員会の報告書では、オマール・アリ・サイフディン3世は「近代ブルネイの建設者」と評価され、橋はブルネイの近代化を象徴するものと説明されています。
日本語表記には、オマール/オマル、アリ/アリー、サイフディン/サイフッディンなどの揺れがあります。記事では初出で英語名 Sultan Haji Omar 'Ali Saifuddien Bridge を併記すると、資料をたどりやすくなります。
橋ができてもテンブロンは飛び地のまま
橋によって国外へ出ずに移動できるようになりましたが、テンブロンの地理的な分類は変わりません。
- 西側のブルネイ領とテンブロンの間には、今もマレーシア領がある
- 橋はブルネイ湾を越える交通路である
- 陸上の国境線が変更されたわけではない
- テンブロンが西側領域と陸続きになったわけではない
したがって、「橋の完成で飛び地が解消した」とするのは不正確です。
正しくは、「飛び地のまま、ブルネイ国内だけを通る固定交通路で結ばれた」と表現できます。
テンブロンはブルネイの「緑」を象徴する地域
テンブロン地区には、広い熱帯林が残っています。ブルネイ森林局によると、ウル・テンブロン国立公園の面積は4万6,210ヘクタールです。
同公園は道路だけで園内深部まで入る観光地ではなく、川を利用した移動やガイド付きの自然体験で知られます。橋がテンブロンへのアクセスを改善しても、国立公園内の交通や利用ルールまで都市の道路と同じになるわけではありません。
橋によって観光客が増える可能性がある一方、自然地域では受け入れ人数、廃棄物、騒音、生態系保全などへの配慮も必要です。
「アクセスが良いこと」と「どこへでも自由に車で入れること」は区別しなければなりません。
橋が教えてくれる飛び地と国境
地図上では、国境線は細い一本の線に見えます。しかし、生活の中では、旅券、税関、道路、運転時間、物資の輸送経路として具体的な影響を持ちます。
ブルネイの橋は、国境線そのものを動かさずに、国境が日常移動へ与える影響を小さくしました。
- 19世紀の領域変化で国土が二つに分かれた
- 国内の陸路移動に隣国の通過が必要になった
- 船は国内ルートを担ったが、車両輸送とは異なる制約があった
- 海と湿地を越える26.3kmの橋が建設された
- 国境を通らず、車で30分未満の国内移動が可能になった
一本の橋をたどると、歴史上の国境と、現在の交通技術がどのように結び付いているかが見えてきます。
まとめ
ブルネイのテンブロン地区は、マレーシア・サラワク州のリンバンによって西側のブルネイ領から分かれた飛び地です。
- ブルネイは4地区からなり、テンブロンだけが東側に離れている
- テンブロンの面積は1,306km²、2025年推計人口は9,500人
- 1890年にリンバンがサラワクへ編入され、現在につながる分断が生じた
- 橋の開通前、車ではマレーシアを通り4か所の国境検問所を経由した
- 従来の陸路は約2時間、船は約45分だった
- 全長26.3kmの橋が2020年3月17日に供用を開始した
- 橋を使うと、国外へ出ずに首都側まで30分未満で移動できる
- 橋は海、航路、湿地・森林周辺を高架で通る
- 開通後もテンブロンは地理上の飛び地である
この橋が変えたのは国境線ではなく、国境に左右されていた移動です。
ブルネイの地図に見える「国土の切れ目」は、現在では海上の長い国内道路によって結ばれています。
この記事に関するクイズ
第1問
ブルネイの飛び地である地区はどこでしょう?
- A. ブライト地区
- B. ツトン地区
- C. ブルネイ=ムアラ地区
- D. テンブロン地区
答え:
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正解:D. テンブロン地区
テンブロン地区は、マレーシア・サラワク州のリンバン地区によって、西側のブルネイ領から分かれています。
第2問
橋の開通前、車で西側のブルネイからテンブロンへ向かうとき、通過する必要があった国はどこでしょう?
- A. インドネシア
- B. マレーシア
- C. フィリピン
- D. シンガポール
答え:
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正解:B. マレーシア
従来の陸路はサラワク州リンバンを通り、4か所の国境検問所を経由しました。
第3問
スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン橋の全長はどれでしょう?
- A. 2.63km
- B. 12.6km
- C. 26.3km
- D. 63.2km
答え:
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正解:C. 26.3km
橋はブルネイ湾を横断し、海上高架橋、航路橋、テンブロン側の湿地を通る高架橋などで構成されています。