太陽王が創りし「黄金の鳥かご」
17世紀フランスの栄華は、太陽王ルイ14世の存在なくしては語れません。幼少期の貴族の反乱(フロンドの乱)を経験した彼は、貴族の力を削ぎ、王権を絶対的なものとするため、一つの壮大なシステムを創り上げました。それが、ヴェルサイユ宮殿を中心とした宮廷生活そのものでした。その本質は、しばしば「黄金の鳥かご」という言葉で表現されます。
「黄金」とは、その比類なき豪華さのことです。金と鏡で彩られた壮麗な宮殿では、毎夜のように舞踏会やオペラが催され、贅を尽くした食事と華麗な衣装が輝きを放っていました。それは、ヨーロッパ中の貴族が羨望の眼差しで見る、抗いがたい魅力を持つ世界でした。
しかし、その輝きは同時に「鳥かご」としての側面を持っていました。王は、有力な貴族たちを地方の領地から引き離し、ヴェルサイユという名の籠の中に集め、その力を完全に掌握したのです。貴族たちは領地から引き離されて政治的な力を失い、王の許可なくして宮殿を離れることも許されませんでした。王という唯一の飼い主の監視下で、厳格な作法に縛られ、美しくさえずることだけを求められる――彼らは、自ら望んでその輝かしい不自由の中へと入っていったのです。宮殿での生活は、いわば巨大な劇場であり、貴族たちは王という唯一の観客を満足させるための「役者」となることを強いられたのです。
失敗が許されない、宮廷作法の掟
この「劇場」では、極めて厳格で複雑な作法(エチケット)が定められました。彼らの地位や年金、名誉は、朝の起床の儀式(ルヴェ)から夜の就寝の儀式(クシェ)に至るまで、王の日常のあらゆる瞬間に、いかに王の目に留まり、気に入られるかに懸かっていました。
王の前では背を向けてはならない、ドアは拳で叩かず指先でそっと引っ掻くようにして合図する、王妃の前では誰がどの形式の椅子(背もたれのある肘掛け椅子か、背もたれだけの椅子か、スツールか)に座る資格があるか、といったルールが網の目のように張り巡らされていました。一つの失態が、宮廷内での序列を転落させ、一族の将来を左右しかねない。そんな息苦しいほどのプレッシャーの中で、貴族たちは完璧な優雅さを演じ続ける必要があったのです。
愛らしい共犯者、その名は「愛玩犬」
この完璧さが求められる舞台において、制御不能な生理現象は、最大の敵の一つでした。特に、音を伴うものは、貴婦人の威信を一夜にして地に堕としかねない、まさに命取りの失態だったのです。
ここで、あの愛らしい存在が登場します。17世紀ヨーロッパの宮廷では、貴婦人が愛玩犬、特にビション・フリーゼやパピヨンといった小型犬を愛し、常に傍らに置くのが大流行していました。数多くの肖像画にも、豪華なドレスを着た貴婦人の膝でくつろぐ、寵愛された子犬の姿が描かれています。これらは単なるペットではなく、高価な宝石と同じく、飼い主の富とステータスを示すアクセサリーでもあったのです。
コルセットの裏の、切実なる「音」問題
そして、例の噂が生まれます。「あの子犬は、もしもの時のための“消音装置”だったのではないか」と。 当時の貴族の食生活は、肉が中心で食物繊維が少なく、消化に良いものとは言えませんでした。加えて、貴婦人たちは鯨の骨などで作られた硬いコルセットでウェストを極限まで締め上げていました。この圧迫は、当然ながら内臓の働きに影響を与え、意図せずお腹にガスが溜まりやすくなる状況を生み出します。
もし、厳粛な謁見の最中や、サロンの静寂の中で、不意に恥ずかしい「音」が出てしまったら…?その瞬間に、膝の子犬が「キャン!」と鳴いたりすれば、人々の注目は犬に向かい、貴婦人の威厳は守られるかもしれません。この説は、そんな絶体絶命の状況を切り抜けるための、貴婦人の涙ぐましい知恵の物語として語られてきました。残念ながら、この説を裏付ける公式な記録は存在していません。
輝きの陰で①:入浴を嫌った貴族たち
「おならと子犬」の話がこれほど真実味を帯びるのは、当時の貴族社会に、現代から見ればもっと驚くべき習慣が実在したからです。まず、入浴の習慣の欠如です。17世紀のヨーロッパでは、ペストなどの疫病は、水浴によって開かれた毛穴から体内に侵入するという「ミアスマ(瘴気)説」が信じられていました。そのため、全身を水に浸す入浴は健康を害する危険な行為と見なされ、王侯貴族でさえ、生涯に数えるほどしか入浴しなかったと言われています。彼らは、リネンのシャツをこまめに着替えることで清潔を保ち、体臭は動物性の濃厚な香水を大量に振りかけることで隠していたのです。
輝きの陰で②:ヴェルサイユ宮殿のトイレ事情
衛生観念も衝撃的です。壮麗なヴェルサイユ宮殿には、数千人が暮らしていたにもかかわらず、常設の水洗トイレはほとんど存在しませんでした。「chaise percée(穴の開いた椅子)」と呼ばれる、おまる機能付きの椅子が個室で使われましたが、それ以外の多くの人々は、廊下の隅やカーテンの裏、庭園の植え込みで用を足すことが常態化していました。宮殿は、その輝かしい外観とは裏腹に、常にひどい悪臭に満ちていたと多くの記録に残されています。
輝きの陰で③:命がけのファッションと美容
さらに、ファッションと美容も極端でした。貴婦人たちは、鉛を含む有毒な白粉(おしろい)で肌を塗りつぶし、不健康なほど白い顔を良しとしました。髪は高く結い上げられ、動物の毛で作られた重いカツラを着用しました。これらの髪やカツラは頻繁に洗うことができず、ノミやシラミの温床となることも珍しくありませんでした。これらの習慣は、当時の医学や価値観から生まれた、彼らにとっては当たり前の日常だったのです。
まとめ:歴史の面白さは「行間」にあり
「貴婦人はおならを子犬でごまかした」という話は、おそらく史実ではないでしょう。しかし、このユーモラスな都市伝説は、歴史の教科書が決して語らない、一つの真実を私たちに教えてくれます。
それは、どんなに華麗なドレスをまとい、完璧な作法を身につけても、その中にいるのは、私たちと同じように生理現象に悩み、体面を保つために必死で工夫する、不完全で愛すべき人間だったということです。きらびやかな宮廷生活という虚像の裏には、悪臭、不衛生、そして絶え間ない緊張感という生々しい現実がありました。
歴史の面白さは、大きな事件や年号の暗記にあるのではありません。こうした歴史の裏側に隠された人々の息遣いや、奇妙で切実な悩みの跡に触れることにあるのです。この滑稽なエピソードは、私たちと歴史の距離をぐっと縮めてくれる、最高の入門書と言えるのかもしれません。