「タンザニア」は2つの地名を組み合わせた名前
タンザニアの正式名称は「タンザニア連合共和国」です。英語では「United Republic of Tanzania」、スワヒリ語では「Jamhuri ya Muungano wa Tanzania」と表記します。
「Tanzania」は、一般に次のように分けて説明されます。
- Tan:Tanganyika(タンガニーカ)
- Zan:Zanzibar(ザンジバル)
- ia:国名として語尾を整える部分
つまり、タンザニアは大陸側と島しょ部、両方の名前を残した合成国名です。
ただし、法律本文は「Tanzania」という新名称を宣言しているだけで、各文字をどこから取ったかまでは説明していません。語の細かな構成については、後述する新聞公募の記録や一般的な語源説明と、法律上確認できる事実を区別する必要があります。
タンガニーカは現在の「タンザニア本土」
タンガニーカは、現在「タンザニア本土」と呼ばれるアフリカ大陸側の地域に存在した国です。
現在のタンザニア本土の大部分は、19世紀末から第一次世界大戦までドイツ領東アフリカに組み込まれていました。第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となり、この時期に「タンガニーカ」が政治的な領域名として定着しました。
タンザニア在米大使館も、タンガニーカという政治的領域が、ドイツ領東アフリカからイギリスの委任統治へ移った1920年以降に形成されたと説明しています。
タンガニーカは1961年12月9日、イギリスから独立しました。
独立時は英連邦王国でしたが、1962年12月9日に共和国となり、ジュリウス・ニエレレが大統領に就任します。
ザンジバルは一つの島だけではない
「ザンジバル」と聞くと、一つの観光島を思い浮かべるかもしれません。
しかし、政治・地理上のザンジバルは、主に次の島々からなる地域です。
- ウングジャ島
- ペンバ島
- 周辺の小さな島々
観光案内で単に「ザンジバル島」と呼ばれることが多い島は、正式にはウングジャ島です。世界遺産のストーン・タウンもウングジャ島にあります。
ザンジバル政府統計局の統計システムも、ザンジバルの人口をウングジャとペンバに分けて公表しています。
ザンジバルはインド洋交易の拠点として長い歴史を持ち、19世紀にはオマーン系のスルタン国の中心となりました。その後イギリスの保護国となり、1963年12月10日に独立します。
1964年1月、ザンジバル革命が起きた
独立から約1か月後の1964年1月12日、ザンジバル革命が起きました。
スルタン政権は倒れ、「ザンジバル人民共和国」が成立します。大統領となったのは、アフロ・シラジ党を率いたアベイド・アマニ・カルメでした。
この革命では多数の死傷者や住民の国外脱出が生じました。被害人数には資料差が大きいため、確かな統計なしに具体的な人数を断定するのは適切ではありません。
重要なのは、タンガニーカと連合した時点のザンジバルが、独立直後のスルタン国ではなく、革命によって成立した人民共和国だったことです。
1964年4月22日、2人の大統領が連合文書に署名
タンガニーカのジュリウス・ニエレレ大統領と、ザンジバルのアベイド・アマニ・カルメ大統領は、1964年4月22日に「タンガニーカ・ザンジバル連合規約」へ署名しました。
署名場所はザンジバルです。
規約の冒頭には、タンガニーカ共和国とザンジバル人民共和国を「一つの主権共和国へ統合する」と記されています。
連合は単なる外交同盟ではありません。2つの国が一つの国際法上の主権国家をつくり、外交、国防、市民権などを共同で扱う国家連合でした。
4月26日に「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」が成立
両国の機関が連合規約を承認し、1964年4月26日に連合が発足しました。
タンザニア政府は、この連合を次の2つの主権国家によるものと説明しています。
- タンガニーカ共和国
- ザンジバル人民共和国
タンザニア駐日大使館も、1964年4月22日の条約締結を受けて、4月26日に一つの主権共和国になったと説明しています。
発足時の正式名称は「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」でした。英語では「United Republic of Tanganyika and Zanzibar」です。
現在の「タンザニア」という名称は、まだ正式には使われていませんでした。
4月26日は現在も「連合の日」
タンザニアでは、毎年4月26日が「連合の日(Union Day)」です。2024年4月26日には連合成立60周年を迎えました。
大統領府が公表した60周年演説でも、タンザニア連合共和国は1964年4月26日、タンガニーカ共和国とザンジバル人民共和国という2つの独立国の連合によって成立したと説明されています。
4月26日は「タンザニアが植民地から独立した日」ではありません。
タンガニーカとザンジバルは、それぞれ別の日に独立しており、4月26日は両者が一つの国になった記念日です。
国名が「タンザニア」になったのは連合の約半年後
連合成立後もしばらく、国の正式名称は長い「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」でした。
そこで、両地域を表しながら短く呼べる新しい名称が必要になります。
1964年10月末から「タンザニア」という名称が使用され、同年12月には国会が「連合共和国国名宣言法」を制定しました。
同法は、従来の「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」を、今後「タンザニア連合共和国」と呼ぶと明記しています。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 1964年4月22日 | タンガニーカとザンジバルが連合規約へ署名 |
| 1964年4月26日 | タンガニーカ・ザンジバル連合共和国が成立 |
| 1964年10月末 | 「タンザニア」の名称が使われ始める |
| 1964年12月3日 | 国名宣言法を国会が可決 |
| 1964年12月10日 | 大統領が同法を裁可 |
| 1964年12月11日 | 法律が施行され、名称を正式に宣言 |
国名宣言法は、1964年10月28日以降に「タンザニア」と表記された公的行為についても、名称使用を有効なものとして扱っています。
したがって、記事では次の2つを区別する必要があります。
- 国家連合の成立:1964年4月26日
- タンザニアという正式名称の確立:1964年10月末~12月
「タンザニア」を考えたのは誰?
タンザニアという国名は、新聞を通じた公募で選ばれたと伝えられています。
タンザニアの新聞「The Citizen」は2025年3月、当時学生だったモハメド・イクバル・ダールが新国名の募集へ応募し、採用されたと報じました。賞金200シリングと記念メダルを受け取ったとされています。
同記事による本人側の説明では、「TAN」と「ZAN」を組み合わせ、残る「I」と「A」に本人の名前や信仰に関係する意味を持たせたとされています。
ただし、今回確認した1964年の国名宣言法や政府の連合史資料には、応募者の選定過程や「I」「A」の意味までは記載されていません。
確実性を分けると、次のようになります。
- 法律で確認できること:1964年に国名がタンザニア連合共和国へ変更された
- 広く確認できる語の構成:TanganyikaとZanzibarを組み合わせた名称
- 新聞報道に基づくこと:モハメド・イクバル・ダールの応募案が採用されたという経緯
- 本人側の説明に基づくこと:「I」と「A」に込めた個人的な意味
人物の功績を紹介する場合は、法律上の事実と後年の証言を混同しない書き方が必要です。
タンガニーカは現在も国なの?
現在、タンガニーカという独立国は存在しません。
かつてタンガニーカだった大陸側は、公式には「タンザニア本土(Tanzania Mainland)」と呼ばれます。
一方、タンガニーカという名称は、タンガニーカ湖、歴史上のタンガニーカ共和国、旧国名や独立史を扱う文書などに残っています。
「タンザニア本土」と「タンガニーカ」は地理的にはおおむね同じ範囲を指しますが、現在の公的制度を説明するときは「タンザニア本土」とするのが適切です。
ザンジバルは現在も国なの?
ザンジバルも、現在は独立した主権国家ではありません。国際的にはタンザニア連合共和国の一部です。
しかし、一般的な州や県と同じでもありません。
ザンジバルには現在も、次の独自機関があります。
- ザンジバル大統領
- ザンジバル革命政府
- ザンジバル代議院
- ザンジバル憲法
- 独自の行政・司法機関
ザンジバル政府は、連合政府へ委ねられた分野を除き、ザンジバル内の幅広い政策を担当します。
したがって、「ザンジバルは別の国」とするのは誤りですが、「完全に本土と同じ地方行政単位」とするのも正確ではありません。
タンザニアには政府が2つある
タンザニアの連合制度には、2つの政府があります。
タンザニア連合政府
外交、国防、市民権など、国全体の「連合事項」を担当します。
同時に、タンザニア本土では農業、保健、地方行政など、連合事項ではない分野も担当します。
ザンジバル革命政府
ザンジバルにおける非連合事項を担当します。たとえば、土地、保健、地域環境などは原則としてザンジバル政府が所管します。
重要なのは、「タンザニア本土政府」という別の政府が存在しないことです。
連合政府が、国全体の連合事項と、本土だけの非連合事項を兼ねています。
| 政府 | 国全体の連合事項 | 本土の非連合事項 | ザンジバルの非連合事項 |
|---|---|---|---|
| タンザニア連合政府 | 担当 | 担当 | 原則として担当しない |
| ザンジバル革命政府 | 担当しない | 担当しない | 担当 |
タンザニア副大統領府も、連合政府が連合事項と本土の非連合事項を、ザンジバル革命政府がザンジバルの非連合事項を扱うと説明しています。
連合事項は当初11分野、現在22分野
1964年の連合規約では、国全体で扱う連合事項は11分野でした。
当初の主な分野は次のとおりです。
- 連合共和国の憲法と政府
- 外交
- 国防
- 警察
- 非常事態権限
- 市民権
- 入国管理
- 対外貿易・対外借入
- 連合公務
- 所得税、法人税、関税、物品税
- 港湾、民間航空、郵便、電信
その後、通貨・銀行、高等教育、統計、石油・天然ガス、控訴裁判所、政党登録などが追加され、政府資料では現在22分野と説明されています。
一方、ザンジバルの土地、保健、地方行政など、一覧に含まれない分野は非連合事項です。
この分担があるため、同じタンザニア国内でも、本土とザンジバルで法律や行政手続きが異なることがあります。
「一つの国・二つの政府」という仕組み
タンザニアは、タンガニーカとザンジバルという2か国が現在も並立している国家連合ではありません。連合規約と憲法上は、一つの主権国家です。
その一方で、ザンジバルの自治制度を残し、2つの政府が権限を分担しています。
- 国際社会で国を代表する主体:タンザニア連合共和国
- 国全体の大統領:タンザニア連合共和国大統領
- 国全体の議会:タンザニア国会
- ザンジバル独自の行政:ザンジバル革命政府
- ザンジバル独自の立法:ザンジバル代議院
単純に「2か国が合併して、すべてが同じ制度になった」と考えると、現在の仕組みを理解できません。
一つの国家をつくりながら、ザンジバルの制度的な自律性を残した点に特徴があります。
首都ドドマとザンジバルの政治中心
タンザニア連合共和国の正式な首都はドドマです。
最大都市ダルエスサラームには政府機関や経済機能が多く残っていますが、国会や大統領府などの首都機能はドドマへの移転が進められてきました。
一方、ザンジバル政府の政治・行政中心はウングジャ島のザンジバル市にあります。
このため、タンザニアの政治地図には複数の中心があります。
- ドドマ:連合共和国の首都
- ダルエスサラーム:最大都市・経済中心
- ザンジバル市:ザンジバル政府の中心
これも、大陸側と島しょ部が結び付いて成立した国の特徴です。
国名は連合の歴史を伝えている
世界の国名には、民族、王朝、地形、方角などに由来するものがあります。
タンザニアは、2つの国・地域の名前を組み合わせた国名です。
「Tan」と「Zan」を両方残したことで、国名そのものが次の歴史を伝えています。
- タンガニーカとザンジバルは別々に独立した
- 1964年4月に一つの主権国家をつくった
- 連合後に新しい国名を定めた
- 現在もザンジバルの自治制度が残る
「タンザニア」という短い言葉の中に、アフリカ大陸とインド洋、2つの政治体と歴史が収められているのです。
まとめ
タンザニアは、タンガニーカとザンジバルの連合によって誕生しました。
- タンガニーカは1961年12月9日に独立
- ザンジバルは1963年12月10日に独立
- 1964年1月12日にザンジバル革命が起きた
- 両国大統領が1964年4月22日に連合規約へ署名
- 4月26日にタンガニーカ・ザンジバル連合共和国が成立
- 「タンザニア」はTanganyikaとZanzibarを組み合わせた国名
- 新名称は1964年10月末から使われ、12月の法律で正式に宣言
- 現在のタンザニアは一つの主権国家
- タンザニア連合政府とザンジバル革命政府の2政府がある
- ザンジバルには独自の大統領、議会、憲法がある
国名の由来を知ると、タンザニアが単に本土へ島を加えた国ではなく、2つの独立国が制度を調整してつくった連合共和国であることが分かります。
この記事に関するクイズ
第1問
「タンザニア」という国名の基になった2つの地名はどれでしょう?
- A. タンガニーカとザンジバル
- B. タンガニーカとザンビア
- C. タボラとザンジバル
- D. タンザニアとザイール
答え:
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正解:A. タンガニーカとザンジバル
一般にTanganyikaの「Tan」とZanzibarの「Zan」を組み合わせた国名と説明されます。
第2問
タンガニーカとザンジバルの連合が成立した日はいつでしょう?
- A. 1961年12月9日
- B. 1963年12月10日
- C. 1964年1月12日
- D. 1964年4月26日
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正解:D. 1964年4月26日
4月22日に連合規約へ署名し、4月26日に一つの主権共和国となりました。この日は現在も「連合の日」です。
第3問
現在のザンジバルについて、正しい説明はどれでしょう?
- A. タンザニアとは別の独立国
- B. 独自の政府や議会を持たない一般的な州
- C. タンザニアの一部で、独自の政府・議会・憲法を持つ
- D. イギリスの海外領土
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正解:C. タンザニアの一部で、独自の政府・議会・憲法を持つ
ザンジバルは主権国家ではありませんが、非連合事項を担当するザンジバル革命政府と独自の議会・憲法があります。