地理がもたらした、抗いがたい宿命
ジブチは、四国ほどの面積に100万人足らずの人々が暮らす小国です。しかし、その地図上の位置が、この国に特別な宿命を与えました。
ジブチが面するのは、紅海とアデン湾を結ぶバブ・エル・マンデブ海峡。ここは地中海とインド洋を繋ぐスエズ運河航路の南の出入り口であり、世界の海上コンテナ輸送量の約3割、タンカーで運ばれる原油の約1割が通過する、まさに世界経済の頸動脈です。近年、この海域でフーシ派による船舶攻撃が激化していることからも分かる通り、この海峡の安定は、私たちの生活に直結する国際的な最重要課題となっています。
この地の利が、ジブチを単なる小国から「灼熱の要衝」へと変貌させたのです。
大国が交錯する「ガラス張りの演習場」
ジブチの価値は、単なる海上交通の要衝に留まりません。イエメンの内戦、ソマリアやスーダンの不安定な情勢など、紛争の火種が燻る地域に隣接し、有事即応のための前方展開拠点として比類なき価値を持ちます。
この地に、世界各国の思惑が交錯します。
- アメリカ(キャンプ・レモニエ): 2001年の同時多発テロ以降、アフリカにおける対テロ作戦の最大拠点として君臨してきました。数千人規模の部隊が駐留し、無人機による監視・攻撃作戦の中枢を担っています。近年は、その役割を対テロから、増大する中国の影響力への対抗へとシフトさせています。
- 中国(人民解放軍保障基地): 2017年、中国初の海外軍事基地(補給基地)として開設しました。米軍基地からわずか12kmの距離に位置し、「一帯一路」構想の権益保護と国際的に重要な海上交通路の安定のための戦略的拠点です。
- 日本(自衛隊活動拠点): 2011年、海賊対処活動のため海外初の常設拠点を設立しました。P-3C哨戒機による監視活動は、日本のシーレーン防衛という国益に直結します。同時に、ここで得られる米中をはじめとする各国軍の動向に関する情報は、日本の安全保障政策にとって計り知れない価値を持っています。
ある安全保障アナリストは、現状をこう分析します。「ジブチは、米中両国が互いの手の内と能力を合法的に探り合える、さながら『ガラス張りの演習場』です。ここでは情報戦が日夜繰り広げられており、その緊張感は増すばかりです」。
ジブチが「ガラス張りの演習場」と表現される背景には、以下のような状況が考えられます。
- 情報収集活動の交錯: 米軍基地と中国軍基地はわずか十数キロしか離れていません。互いにレーダーや通信傍受といった電子諜報活動(SIGINT)や、偵察機・衛星からの画像諜報活動(IMINT)を通じて、相手の能力や動向を常に分析していると見られています。
- 能力の相互監視: 中国海軍の艦船が新たな装備を搭載して寄港すれば、日米欧の軍事アナリストは即座にそれを分析します。逆に、米軍が最新鋭の無人機を配備すれば、中国側もその性能や運用方法を詳細に観察します。すべてが相手国へのメッセージとなり、牽制し合う「無言の対話」が行われているのです。
- 実戦的シミュレーション: 例えば、周辺地域で紛争やテロが発生し、自国民の退避作戦が必要になった場合、各国がどのように動き、連携し、あるいは主導権を争うのか。その対応能力そのものが、互いにとって格好の分析対象となります。平時でありながら、常に有事を想定した緊張感が漂っています。
要するに「ガラス張りの演習場」とは、平時における「情報戦の最前線」とも言い換えることができます。各国の軍事ドクトリンや最新兵器、即応能力といった手の内が、良くも悪くも互いに見えやすい環境にあるという、ジブチの地政学的な特異性を象徴した言葉です。
基地経済に揺れる国民の胸中
これほど多くの外国軍の駐留を、なぜジブチ政府は積極的に受け入れるのでしょうか。答えは明快です。それは、基地がもたらす経済的利益に他なりません。
天然資源に乏しいジブチにとって、各国が支払う年間数千万ドルから1億ドルとも言われる基地の賃料は、国家歳入の柱です。基地で働くジブチ人の青年は、こう語ります。「ここの給料は、市内で働くよりもずっと良いです。家族を養うためには、他に選択肢はありません。国の安全が外国の軍隊に委ねられているようで、正直、複雑な気持ちになることもあります」。
しかし、その光には濃い影が射しています。外国人の大量流入は物価を高騰させ、一般市民の生活を圧迫。首都では、裕福な外国人兵士が利用するレストランと、地元の住民が通う市場との間に、見えない壁が存在します。
基地誘致は、ジブチに経済的安定をもたらす一方で、国の自立性や国民のアイデンティティを静かに揺さぶっているのです。
まとめ:ジブチは世界に何を問いかけるのか
海賊対策という共通の目的から始まった各国の駐留は、今や米中対立を軸とした熾烈なパワーゲームの舞台へとその姿を変えました。
基地経済という蜜月が、いつしか大国の代理戦争の火種となりかねない危うさ。ジブチの未来は、国際協調の可能性と、剥き出しのパワーポリティクスの非情さの両方を映し出す鏡です。
私たちは、この鏡から目を逸らしてはなりません。この灼熱の小国で起きていることは、決して対岸の火事ではないからです。明日の東アジア、そして世界の未来を我々はどう描くべきなのか。ジブチの現実は、私たち一人ひとりに対し、静かに、しかし鋭くその答えを問いかけているのです。