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ルーマニア語とモルドバ語――なぜ「同じ言語」に異なる名前があるのか?

ルーマニア語とモルドバ語――なぜ「同じ言語」に異なる名前があるのか?

モルドバとルーマニア――この二国を隔てる国境線の内と外では、ほぼ同じ言語が話されている。しかし、その言語は一方では「ルーマニア語」、他方では「モルドバ語」と呼ばれてきた。この呼び名の違いには、単なる言語的差異以上の、政治と歴史が深く関係している。

歴史の分岐点:モルドバとルーマニアの関係

モルドバとルーマニアは、もともと同じルーマニア人の民族的・文化的ルーツを持つ。中世には、両国の地は「モルダヴィア公国」や「ワラキア公国」として存在し、19世紀にルーマニア王国が形成された際、現在のモルドバ西部もその一部だった。

しかし、現在のモルドバ東部(ドニエストル川の東側地域)は1812年にロシア帝国に併合され、後に1940年にはソビエト連邦の構成国「モルダビア・ソビエト社会主義共和国(モルダビアSSR)」となった。この分断が、言語の呼称にも影を落とすこととなる。

ソ連の「分断政策」が生んだモルドバ語

1940年、ソビエト連邦はベッサラビア(現在のモルドバ共和国西部)を併合し、モルダビアSSRを樹立。このとき、ソ連は民族アイデンティティの分離を促進するため、「ルーマニア語」とは別の言語として「モルドバ語(Limba moldovenească)」を制定した。

違いは文字体系にあった

実質的にモルドバ語とルーマニア語は文法、語彙、発音ともにほぼ同じであり、言語学的には区別されない。だが、ソ連はあえてモルドバ語に「キリル文字」を使用させることで、ラテン文字のルーマニア語との差別化を図った。

これは言語的操作によって民族的分断を生む「文化的工学(cultural engineering)」の一種だった。

独立後の言語政策:再びラテン文字へ

1991年にソ連が崩壊し、モルダビアSSRは「モルドバ共和国」として独立。これに伴い、モルドバ政府は公用語の呼称を「ルーマニア語」とし、ラテン文字の使用を復活させた。

時系列と背景

1991年:ソ連からの独立

モルダビア・ソビエト社会主義共和国(Moldavian SSR)は、1991年8月27日にソビエト連邦から独立し、「モルドバ共和国(Republica Moldova)」となりました。

ラテン文字の復活(1989年)←独立前

実はソ連時代の1989年、モルダビアSSR時代の改革運動の中で、モルドバ語の文字体系はキリル文字からラテン文字に戻されています

この時点では、言語名はまだ「モルドバ語(Limba moldovenească)」とされていましたが、書き言葉はルーマニア語とほぼ同一になっていました。

憲法上の公用語名:「モルドバ語」

1994年に制定されたモルドバ憲法第13条では、公用語は明確に「モルドバ語(Limba moldovenească)」と記載されていました【出典:モルドバ憲法】。

この「モルドバ語」はルーマニア語と同一であるにもかかわらず、政治的配慮や国内世論の分断から、名称だけが保持されていたのです。

言語名の変更:「ルーマニア語」へ(2013年・2023年)

2013年、モルドバ憲法裁判所は、「モルドバ語」と憲法に書かれているが、実際の公用語は独立宣言文書に従って『ルーマニア語』であるという判断を下しました。

そしてついに、2023年3月、モルドバ議会は正式に公用語の名称を「モルドバ語」から「ルーマニア語(Limba română)」へ変更する法案を可決しました【出典:Radio Free Europe, Moldova Parliament】。

モルドバ語の名残

しかし、旧ソ連時代の名残や国内政治の影響から、「モルドバ語」という呼称も公的文書や一部の政治家の間で使用され続けてきた。特に親ロシア派の政党や、言語の独自性を強調したい勢力によって用いられることが多かった。

沿ドニエストル共和国:今なおキリル文字のモルドバ語

モルドバ東部にある未承認国家「沿ドニエストル共和国(沿ドニエストル分離地域)」では、現在でも「モルドバ語(キリル文字)」が公用語の一つとされている。

この地域は事実上ロシアの後ろ盾を得ており、モルドバ政府の影響が及ばない。ここでは教育もキリル文字で行われており、ルーマニア語とは別物として扱われている。

国際的な視点:ルーマニア語としての認識

ユネスコや国連、欧州連合(EU)などの国際機関では、モルドバ共和国の公用語は「ルーマニア語(Romanian)」と明記されている。言語学者の間でも「モルドバ語はルーマニア語と同一」とするのが通説だ。

まとめ:名前の違いは「言語」ではなく「政治」の問題

  • 言語的には、モルドバ語=ルーマニア語
  • 呼称の違いは、ソ連の政治的操作に起因
  • 独立後はルーマニア語を正式名称とし、ラテン文字を使用
  • 沿ドニエストルでは今なおモルドバ語(キリル文字)を維持

モルドバ語という名前が使われ続けてきた背景には、国家アイデンティティ、地政学的対立、そして歴史の積み重ねがある。これは単なる言語の違いではなく、東欧という地域の複雑な歴史と政治を映し出す鏡でもあるのだ。

参考リンク

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