Skip to main content

西サハラ

Western Sahara

西サハラ(Western Sahara)は、北アフリカに位置する地域で、モロッコとアルジェリアの間に広がっています。この地域は、長い間争いの中心となっており、今日でも国際的な注目を集めています。面積は約266,000平方キロメートルで、スコットランドとほぼ同じ大きさです。 古くから西サハラは、ベルベル人やサハラ語を話す住民によって住まわれていましたが、1884年にスペインの植民地...もっと見る

西サハラ」基本情報

正式名称 西サハラ
英語名 Western Sahara
首都 (最大都市)アイウン(El Aaiún)
公用語 アラビア語、スペイン語、ベルベル語
地域 アフリカ /北アフリカ
通貨 モロッコ・ディルハム(د.م.)
総人口  57万人
平均年齢  32.037歳
面積 266,000 ㎢
人口密度 2.179人/㎢

西サハラ」の年齢層別人口

西サハラ」人口統計情報

総人口 57万人
男性人口 31万人
女性人口 26万人
人口変化 +10,908人
人口増加率 +1.882% -
出生数 8,987人
平均出産年齢 29.992歳
平均寿命 71.385歳
男性平均寿命 69.688歳
女性平均寿命 73.546歳
総死亡者数 3,678人
純移民数 5,606人

西サハラの豆知識?

「西サハラ」は、アフリカ北西部のサハラ砂漠の西側に位置することから名付けられました。かつては「スペイン領サハラ」と呼ばれていましたが、1975年以前にスペインの植民地だった名残です。

大部分がサハラ砂漠に属し、年間を通じてほとんど雨が降らない乾燥地帯です。平坦な砂地や石の多い岩石砂漠が広がり、人口密度が非常に低いことが特徴です。

最大の都市はラユーン(エルアユーウン)で、政治・行政・経済の中心地となっています。また、ダフラは漁業や観光分野で注目される沿岸都市です。

主にアラビア語(ハッサーニーヤ方言)が話され、フランス語やスペイン語が第二言語として通じることもあります。植民地時代の影響でスペイン語が一部で使われています。

多くの住民は都市部に集まっていますが、遊牧民や半遊牧民として暮らす人々も少数存在します。伝統的にはテントを張り、ラクダなどの家畜とともに移動しながら生活する文化も残っています。

西サハラはモロッコが領有を主張する一方、「サハラ・アラブ民主共和国」(SADR)として独立を主張し、一部の国や国際機関に承認されています。帰属問題が未解決のため、国連では非自治地域と位置付けられています。

SADRはポリサリオ戦線が1976年に独立を宣言した政権で、一部の国によって承認されています。首都機能は難民キャンプなどに置かれており、モロッコとの間で領有権をめぐる対立が続いています。

ポリサリオ戦線は、西サハラの独立を目指す民族解放運動で、1973年に結成されました。旧スペイン領からの完全独立と、住民投票による地位の決定を求めています。

はい。モロッコが建設した全長2,700kmを超える防壁(通称:モロッコ壁)があり、西サハラを複数の地域に分断しています。この壁は地雷原や監視施設を伴い、大きな論争の対象です。

リン鉱石(リン酸塩)が非常に豊富で、採掘産業が重要です。また、沿岸地域では漁業が盛んに行われています。一方、政治的な不安定要素により、大規模な開発は制約を受けています。

極度の乾燥地帯に属し、雨はほとんど降りません。夏は非常に暑く、内陸部では日中は40℃を超えることもありますが、海岸沿いは比較的過ごしやすいといわれています。

通貨の一部や行政文書にスペイン語が使われたり、スペインからの移民のコミュニティが存在するなど、かつてのスペイン統治時代の文化的・社会的影響が一部に残っています。

マグリブ地域の一部として、モロッコやモーリタニアなどと文化的に共通点が多いです。特に、遊牧民の伝統や音楽、アラブ・ベルベル系の習慣などが色濃く見られます。

茶文化が発達しており、甘いミントティーが日常的に飲まれます。また、遊牧民文化の影響で、乾燥・塩漬けした肉や穀物を中心とした素朴な料理が多いのが特徴です。

政治的状況が安定しないため一般的な観光地とは言いにくいですが、ダフラなどの沿岸地域ではサーフィンやウィンドサーフィンを目的とした旅行者が少数ながら訪れています。また、歴史や文化に関心をもつ研究者や冒険好きの旅行者が訪れることもあります。

MAP「西サハラの首都 - (最大都市)アイウン」

西サハラってどんなところ?

西サハラ(Western Sahara)は、北アフリカに位置する地域で、モロッコとアルジェリアの間に広がっています。この地域は、長い間争いの中心となっており、今日でも国際的な注目を集めています。面積は約266,000平方キロメートルで、スコットランドとほぼ同じ大きさです。

古くから西サハラは、ベルベル人やサハラ語を話す住民によって住まわれていましたが、1884年にスペインの植民地となりました。20世紀の半ばに入ると、この地域の独立を求める運動が高まり、特にポリサリオ戦線(西サハラ独立民族戦線)がその中心となりました。1975年、スペインは西サハラから撤退し、モロッコとマウリタニアがこの地域に対する主権を主張することになりました。この時、ポリサリオ戦線は西サハラの独立を求めるための武力闘争を展開しました。

1979年、モーリタニアが西サハラから撤退しましたが、モロッコはその後も西サハラの大部分を占有し続けています。このことから、ポリサリオ戦線は卓越した抵抗運動を展開し、国際的に認知されるための努力を続けています。国連は西サハラを「非自己決定地域」として位置づけており、住民の自己決定権を尊重する必要があるとしています。しかし、主権を巡る対立は続き、解決には至っていません。

この地域は、豊かな自然環境と多様な文化を有しています。サハラ砂漠の一部である西サハラは、砂丘や岩石、海岸線が特徴です。また、バオバブの木や、特有の動植物が生息しているため、地質学および生物学的に興味深い地域でもあります。また、西サハラの住民は、独自の文化を持ち、音楽や踊り、手工芸などが盛んです。

西サハラには、国際的に認められた国家としての地位が確立されていないため、正式な経済活動は難しい状況です。しかし、地域内では小規模な商業や農業が営まれており、特にオリーブや小麦、コメなどが栽培されています。また、漁業も行われており、沿岸部では漁船が出航しています。

現在、国際社会はこの問題に対して注目を集めており、様々な取り組みが行われています。国連は、西サハラにおける平和的な解決を目指して対話を促進し続けています。近年では、国際人権団体もこの問題に対して関心を持ち、住民の権利を保護するための活動を行っています。特に、モロッコによる人権侵害の報告が上がっており、国際的な圧力が強まる中、進展が期待されています。

西サハラ問題は非常に複雑で、力のバランスや国際政治の影響を受けながら続いていますが、その解決がもたらす平和と安定は、この地域だけでなく、広く北アフリカと西アフリカにとっても重要です。未来の西サハラが、住民の希望と夢が叶う土地となることを願ってやみません。