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カメルーン

Cameroon

カメルーン共和国(Cameroon)は、中部アフリカに位置する多様性に富んだ国で、周囲にはチャド、ナイジェリア、赤道ギニア、中央アフリカ共和国、ガボン、コンゴ共和国と国境を接しています。カメルーンの地理は非常に多様で、北部には乾燥したサバンナ、中央部には山岳地帯、西部には肥沃な森林地帯、南部には海岸線が広がっています。このため、カメルーンは「アフリカの縮図」と呼...もっと見る

カメルーン」基本情報

正式名称 カメルーン共和国
英語名 Cameroon
首都 ヤウンデ(Yaounde)
公用語 英語(イギリス英語)、フランス語
地域 アフリカ /中央アフリカ
通貨 CFAフラン (BEAC)(Fr)
パスポート
総人口  2,837万人
平均年齢  17.752歳
国内総生産(GDP)  443億4,164万6,508ドル
国民総所得(GNI)  437億4,205万6,635ドル
一人当たりGDP  1,588 ドル
一人当たりGNI  1,567 ドル
面積 472,710 ㎢
人口密度 60.879人/㎢
CO2総排出量  41,297,813トン
一人当たりCO2排出量  1.56トン

カメルーン」の年齢層別人口

カメルーン」人口統計情報

総人口 2,837万人
男性人口 1,414万人
女性人口 1,423万人
人口変化 +749,708人
人口増加率 +2.643% -
出生数 957,392人
平均出産年齢 28.417歳
平均寿命 63.700歳
男性平均寿命 61.522歳
女性平均寿命 65.944歳
総死亡者数 202,882人
純移民数 -4,798人

カメルーンの豆知識?

カメルーンには海岸、熱帯雨林、山岳地帯、サバンナなど多様な地形や気候が凝縮されており、アフリカ大陸の特徴がほぼすべて詰まっているため「アフリカの縮図」と呼ばれています。

15世紀にポルトガル人が現地の川でエビ(ポルトガル語で“カマロン”)を多く見つけたことから、「エビの川」を意味する「Rio dos Camarões」と名付けられ、それが転じてカメルーンになったといわれています。

北西部にあるニオス湖のことで、1986年に湖底から大量の二酸化炭素が噴出し、多数の住民が犠牲になる大惨事となりました。現在はガス抜きを行う装置が設置されています。

活火山でありながら標高約4,000メートルと高く、アフリカでも代表的な活火山の一つです。山頂周辺では煙が上がる様子が見られることもあります。

かつてドイツ領だったカメルーンは第一次世界大戦後にフランス領とイギリス領に分割されました。その影響から、独立後もフランス語と英語が公用語として採用されています。

首都のヤウンデは政治や行政の中心地で標高が高く比較的涼しい気候が特徴です。一方、ドゥアラは港湾都市として商業・経済の要となっており、カメルーン最大の人口を抱えています。

代表的なものに、「ンドレ」という苦い葉を使ったシチューや、豆をすりつぶして蒸した「コキ」、また地域ごとにスパイスを利かせた煮込み料理などがあり、多彩な味を楽しめます。

カメルーン代表は「不屈のライオン」と呼ばれ、1990年のワールドカップではアフリカ勢として初めてベスト8に進出しました。ロジェ・ミラやエトオなどスター選手も多く輩出しています。

カメルーンの人口はおよそ2,600万人を超えており、一部の推計では2,700万人近くに達しているとされています。

森林地帯にはゴリラやチンパンジー、サバンナ地帯にはゾウやキリン、ライオンなど多種多様な動物が生息しており、場所によって全く異なる生態系が楽しめます。

北部に位置する国立公園で、サファリツアーが楽しめる観光地として知られています。ライオンやゾウ、カバなどの大型野生動物の他、絶滅危惧種の鳥類も観察できます。

ドイツ植民地支配から第一次世界大戦後はフランス領とイギリス領に分割統治され、1960年にフランス領カメルーンが独立、1961年にイギリス領カメルーンの一部が合流して現在の形になりました。

原油、カカオ、コーヒー、バナナなどの農産物が主要輸出品です。特にカカオやコーヒーは国内各地で生産され、経済を支える重要な作物になっています。

ドゥアラの港湾エリアや、自然を堪能できるクリビのビーチ、歴史・伝統文化を学べるフンバンの王宮、そして登山客に人気のカメルーン山など、都市と自然の魅力が融合しています。

250以上の民族集団が存在し、言語や風習、食文化などの多様性が非常に豊かなためです。地域ごとに異なる音楽やダンスを持ち、祭りや儀式も多彩です。

MAP「カメルーンの首都 - ヤウンデ」

カメルーンってどんなところ?

カメルーン共和国(Cameroon)は、中部アフリカに位置する多様性に富んだ国で、周囲にはチャド、ナイジェリア、赤道ギニア、中央アフリカ共和国、ガボン、コンゴ共和国と国境を接しています。カメルーンの地理は非常に多様で、北部には乾燥したサバンナ、中央部には山岳地帯、西部には肥沃な森林地帯、南部には海岸線が広がっています。このため、カメルーンは「アフリカの縮図」と呼ばれることがあり、様々な民族、文化、言語が共存しています。

カメルーンの公用語はフランス語と英語であり、国民の約三分の二はフランス語を話し、残りは英語を話します。また、カメルーンには250以上の民族が存在し、それぞれ独自の言語や文化を持っています。これにより、カメルーンは文化的なバラエティに富んだ国となっており、伝統的な祭りや舞踏、音楽、工芸品が多く見られます。代表的な音楽スタイルにはマカッサ、エレクトロ・アフリカン、インディジェナスなどがあります。

経済的には、カメルーンは農業が主な産業であり、コーヒー、カカオ、バナナなどの農産物の生産が盛んです。特に、カカオの生産は国内経済にとって重要で、世界市場にも多く輸出されています。また、カメルーンは石油や天然ガスといった鉱物資源も豊富で、これらの開発は経済成長の促進にも寄与しています。しかし、インフラの不備や政治的な不安定さ、経済格差などの課題も抱えており、これらの問題に対処することが求められています。

カメルーンの歴史は複雑で、25,000年以上前から人々が居住していた痕跡があることがわかっています。19世紀にヨーロッパ列強がアフリカを植民地化する中で、カメルーンはドイツ、フランス、イギリスの植民地となりました。1916年の第一次世界大戦後、カメルーンはフランスとイギリスの信託統治領となり、1960年にフランス領カメルーンが独立を果たしました。その後、1961年にイギリス領カメルーンがフランス領に統合され、現在のカメルーン共和国が成立しました。

政治体制は、1982年よりポール・ビヤ大統領が続けている一党制の政治が続いています。ビヤ政権は長期的な安定を提供していますが、政治的抑圧や腐敗、経済的不平等が広がっており、国内では反政府デモも発生しています。また、北部ではボコ・ハラムなどの過激派組織によるテロ攻撃が増えており、治安が脅かされています。

観光地としては、多くの自然公園や文化遺産があります。特に、クトゥー国立公園やムンダ国立公園では、豊かな動植物相や珍しい動物を観察することができます。また、バラ族やフラ族などの伝統的な民族村も観光名所として知られています。カメルーンの自然の美しさと文化の豊かさは、訪れる人々にとって興味深い体験となるでしょう。

カメルーンはその地理的、文化的な多様性により、多くの可能性を秘めた国です。しかし、その潜在能力を引き出すためには、政治的、経済的な課題に対処しつつ、持続可能な開発を進めることが不可欠です。カメルーンの未来がどのように展開するのか、世界中が注目しています。